おはようございます。satoさん。
スイスイと読めないのですが(スミマセン)、こんな道があるのだなぁ、こんな暮らしの痕跡、祈りの風景があるのだなぁ、
と教えていただき、私が暮らす地、そしてそれぞれの地域にも、それぞれ暮らしの歴史があることを感じ、
その延長上に今の私たちの暮らしがあるのだなぁ、という気持ちに包まれます。
南伊勢の山間地域は、昔は山越えでたくさんの集落とつながっていたのですが
車社会になって取り残されてしまった所が多いです。
高見山地周辺には人しか通れない山越えの県道がいくつもあります。
深野の棚田の要塞のような石積みのお写真に目を見張りました。
室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓された棚田なのですね。気になって調べました。
深野は北畠氏の重要な拠点で、白猪山の西にのろし場があり、見張りに詰めている侍たちの食糧確保のため開墾されたのが始まり、
と伝えられているのですね。数百年築いていき、120段もの棚田になったのですね。
山地のこの地では、和紙作りや養蚕で生計を立てていたそうですね。地面を平らにして崩れないよう石を積み、
一枚一枚田んぼを作っていった人々の生きる力、智慧、精巧な技術に圧倒されます。
石積みの穴太衆も元々は近江の寺衆の出なので、密教寺院が多かったこのあたりに技術が伝わったのではと考えています。

- 深野だんだん田
庚申塚、林道の祠に祀られている石仏、そして陰陽石も興味深いです。
暮らしと祈りは切っても切り離せないもの。
南伊勢は浅間信仰が盛んで、今も受け継がれていることを知りましたが、
深野の今を生きる集落の人たちにも浅間信仰は根付いていて、お祭りも続いているのですね。
地元のおじいさん二人と話しましたが、いつまで続けられるかという感じです。
この4~5年で浅間祭がなくなった集落も多いです。
深野の浅間祭も元々は各集落で行っていたのを夏明にかためた感じです。

- 唐戸岩と祠
あららぎ道は、多気と松阪を結ぶ最短道であり、蘭神社への参拝道。そして深野と宇気郷の人びとにとっての生活道だったのですね。
「目医者道」とも呼ばれていたのですね。むかしは、栄養状態も衛生状態も悪く、目の病気に苦しむ人が多かったのでしょうね。
宇気郷の人々にとって、深野の目医者さんに診てもらう大切な道だったのですね。
道は目的があって作られ、作られた道は、時代によって目的が変容したり、様々な目的が合わさったりしながら維持される。
でも、目的がなくなると埋もれていく。牛が通っていた道も、トラバース箇所など崩れやすいところから自然に帰っていくのですね。
諸行無常といいますが、人々の暮らしと繋がっていた大切な道が、どんどんと埋もれていくのに、さみしさを覚えます。
かといって観光目的で整備されすぎるのも、う~ん、と思ってしまうのですが。
南伊勢は熊野古道以外は取り残されているので静かに自然に帰っていくのでしょう。
あららぎ道も柚原にはつながりますが、あららぎにつながる破線道はどこも厳しそうです。

- 石畳道
わりばしさんのレポを読ませていただきながら、私も、これからも山を歩き、幾重にも重なる風景を見て感じて、
思いを巡らせていきたいなと思いました。
ありがとうございます。
昔のことを知っている人も少なくなってきているので
今しか辿れない所もあると思っています。