おはようございます、ZIPPさん。
野江俣谷に行くこと告げると「ごしょが滝はええ滝やぞ」という。地元の方ですかと尋ねると、この先の蓮に生まれたとおっしゃる。これはいい機会やと思い、同じ江馬小屋谷の夫婦滝のことを尋ねた。
おっちゃん曰く、炭焼き道の通る横にある支流の滝のことを云う。その炭焼き道は、いまは落ちてしまって無いが桟橋で奥へ繋がっていたと。
それでか~。いまは岩をちょっと登らな行けませんね?と云うと「簡単に登れるやろ」と云う。
で、わかったこと。地形図では「五ヶ所滝」の表記だが、「五所ヶ滝」が正しい。夫婦滝は本流の滝ではなく、炭焼き道が近くを通る支流の二筋の滝のことだ。
新たな情報です。
他にも聞きたいことがあったがすぐには思い浮かばない。すぐそこの木地師の墓が9月の台風で流されちゃいましたよ。ろくろ回しの墓ですと云うが、合点の行かない様子のおっちゃん。「墓?山の神ならあったけどの」「昔はこの谷の向こう岸に集落があったんや」。そして、「あんたようこの界隈のこと知っとるの」と褒められてしまった。
林道がかさ上げされ車道からは見えないので、地元の人からも忘れ去られていったのですね。

- 江戸時代の木地師の娘の墓
いまだに、江馬小屋林道を入ってすぐの倒れこんだ杉が片付けられていない。
林道は崩落個所多く、途中の広場も半分ほど削り取られている。また、昔集落があった場所へ渡る鉄橋も流されてしまった。
あらまああの頑丈な鉄橋も流されましたか。
不動滝のゴルジュを前に、ザックを降ろす。随分土砂が溜まったゴルジュを少し入り、岩に登って不動滝上部を写す。
ゴルジュの磨かれた岩壁から想像するに、水量が多かった時は、不動滝は滝とはならず、ゴルジュいっぱいになって瀑流が流れていたようだ。その光景を想像すると戦慄を覚えた。
すごい光景ですね。雨の多いこのあたりもやられるはずです。
釜は埋まったであろうが、きれいな鶴小屋滝は健在だ。半円筒状に水流が削り取った岩肌を滑るように回り込み流れるきれいな滝だ。水流脇左の岩を登って落口に立つ。
両岸迫った岩の間から正面に見える枝谷の滝、岩を抜けると本谷は鋭角に折れ曲がり、ミニ鶴小屋滝と云っていいような滝が現れた。
スラロームのような滝は残っていましたか。
「秘爆」のおかげで、滝の様子がよくわかります。
滝前で遅くなった昼食をとることにした。少々濁っても問題ないだろうと谷の水を汲む。きょうの火器は、通さんのストーブトピに反応して、久々に野外に連れ出したファイヤージェットちゃん。しかし、ライターでは火を着け難い。
そもそも白ガスには嫌な記憶がある。---山のように集めたごみを燃やそうとして白ガスをかけた。太陽が輝く晴天の日中だ。
火をつけようとライターを付けた途端ボワッ!と火炎に包まれ、前毛と眉毛が一瞬にして灰となったのだ。---
白ガスは気化が早いので、マンガみたいな事が起こってしまいますね。
大事にならなくて良かったのかも。
ザックにマッチを入れてたはずだと探し出して、火を付ける。今度は風に揺られてジェネレーターを温めることなく消えてしまった。風防を付けてやっとこさ燃焼。
湯を沸かしインスタントラーメン(マルちゃんの正麺が最近のお気に入り)を投入。
おっ、湯が吹きこぼれると火力を落とそうとダイヤルを落とせば、火が消えた。
結局火力調整は、鍋を持って炎から遠ざけるしかないことを改めて知る(^^;。
こりゃダメですね。
ストーブは何がいいかな?
当分先の話ですが、ストーブには男のロマンを感じます。
左岸を大巻きしていると、滝上の谷は土砂が溜り荒涼たる光景が広がっている。崩落地が近いのだろう。谷中に一本のサワグルミが仁王立ちだ。樹皮は痛々しく剥がれているが、この樹は春には再び芽吹くのだろうか?
よくぞ生き残った。
滝を巻き終えてから、土石流を起こした崩落地までは、20分かかっている。その間、谷は土砂で埋め尽くされているのだ。以前の谷風景を想像することすらできない。
青空の中、見上げる広い崩落地は雪が付ききれいにも見えるが、凄まじい土砂の量である。
そして崩落地の対岸は、目測で最大50m程まで、樹木が無くなり岩が露出している。土石流はそこまで駆け上がったのだろう。
木梶・女滝、千石谷・井戸谷、ヌタハラ谷・夫婦滝前の土石流現場を見たが、この野江俣の崩壊はその何倍、いや何十倍もの大規模なものであろう。
これれが蓮ダムの濁りの本命ですか?
こういう光景を見ると、以前の落ちついた野江俣谷を見たくなって、さらに上流に足を運ぼうと廊下に入った。積雪と入り口部分は両岸土砂も被り、足を置くところもよくわから無い中入ると、石がコロンコロンと廊下に落ちてくる。凍った斜面が陽に照らされ崩落しているのだろう。そして次には握りこぶしほどの石がすぐ横に落ちてきた。退却!である。
クワバラ、クワバラ・・・
帰宅後、以前の野江俣谷との違いを比較しようと、野江俣谷の遡行記録を検索していたら、思いもよらないことがわかった。
京都府立大ワンゲルの記録だ。彼らは2011年の7月30/31日に野江俣谷を遡行している。
その記録には、すでに7月の末で、土石流が発生して、谷が土砂で埋めつくされていことが記録されていたのだ。
つまり、最大規模の台風6号・マーゴンが7月20日に徳島に上陸し、この地にも雨を降らせて、この土石流を起こしていたのだ。そしてさらに9月の大雨台風タラスによって、さらなる崩落が起こり、大量の水流と土砂によって、江馬小屋谷出合から下流部を崩壊させたのだ。
なるほど二段階で崩壊が起こったのか。
お疲れ様でした。
ここまでの大崩壊は、異常気象の影響でしょうね。
それにしても、木地師の娘の墓はもったいない。
わりばし