わりばしさん こんばんは。
矢頭山キャンプ場は老朽化で今解体工事しています。
大きな杉が倒れて東屋をつぶしたそうですね。
危険だからと言う事みたいです。
森のしずく⑤読んでませんでした。全部書かれてますね!さすがです!
登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。
先日登山道判らず、今日改めて行ったら対岸に真新しいピンクテープが巻きつけてありました。
私のヤマップの道が判らなかったの日記みた関係者が付けてくれたのかなと?

- 不動滝の摩崖仏
旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。
寺ヶ谷と言うんですね。いかにもと言う谷名ですね。
ピンクテープに頼りながら右に行ったり、左に行ったりして最後の登り箇所はピンクテープ沢山ついていました。
矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。
実際にこの目で見て、あらためて矢頭山の山名は役の小角が付けて、蔵王権現が祀られたと云うことが繋がりました。
道を整備してもっと沢山の人に見てもらいたいですが、無理ですね。
奥ノ院から矢頭山に登るルートが在ったように思うのですが!
ヤマップでこの付近登られている方が奥の院から南西方向になりますが、篠ヶ広山P554.7から東に行った尾根Pで
祠が在ったと写真と場所提供して頂きました。何か関係あるのか?ですが!

- 篠ヶ広山の東側の尾根に在る祠
帰り道に波氐神社にも寄り、鳥居横の石板と社務所の瓦の紋丸に並び矢も確認して来ました。
一志総合支所の外壁にも丸に並び矢が描かれていました。

- 波氐神社の云われ

- 丸に並び矢(社務所の所に置いてあった瓦)
また旧波瀬の郵便局のカフェ古POSでお母さんに昔の話伺いました。
天徳院神宮寺奥ノ院跡の蔵王権現と役行者の事ご存じでした。