久し振りの投稿です。今回たまたまネパールトレッキングの機会を得てその内容はフェースブックには色々投稿していたのですが、ヤブコギへのレポアップの依頼があり以下に記載します。
書きたいことが多すぎて長文になってしまいました。
【日付】2025年5月2日(金)-8日(木)
【山域】ネパール
【メンバー】I氏、Kasaya、ネパールの大学関係者6名、現地ガイド,ポーター
【天候】朝方は晴れ、昼頃雨の天気が毎日続く
【ルート】
5/2カトマンズ==飛行機==ポカラ==車==Birenthati---Jhinu(170m) 歩行約2時間
5/3 Jhinu to Upper Sinuwa 歩行約5時間
5/4 UpperSinuwa to Himalaya 歩行約6時間
5/5 Himalaya to MBC 歩行約6時間
5/6 MBCto ABC 歩行約2時間
5/7 ABC to Upper Sinuwa 歩行約8時間
5/8 508Upper Shinuwa--Jhinu--Birenthati===車==ポカラ 歩行約3時間
5/9 ポカラ観光==飛行機==カトマンズ
親しくしている学生時代の先輩(大学教授)がネパールの大学に長期滞在することになり、その間にヒマラヤトレッキングを計画しているという。一緒にどうかとお誘いがあったので迷わず同行させてもらうことにした。こんな機会でもなければなかなか行けないと思って。
トレッキングもさることながら初めてのネパールは色んな意味で新鮮でした。
現地入りは4月28日。実はまだこの時点でトレッキングの出発日は確定していなかった。色々詰めや打合せが必要なようで先輩の滞在する大学(トリブヴァン大学)に連れて行かれる。まさかネパールで大学構内に入るとは思わなかった。そこで今回一緒に同行する人たちも紹介される。この時点では5人参加ということだが名前がまったく覚えられない。聞きなれない名前だし全く頭に入らない。最終的には旅行業者もそこに呼んで細かな打ち合わせをして日程と金額が決定。
金額は7泊8日3食、ガイド、ポーター付きで950US$(135千円)は日本から行く場合と違ってかなり安いものだろう。交渉は現地の先生たちがやってくれてほとんどお任せ。ある意味気楽だった。
5/2の早朝に宿を出発といいたいところだが、宿泊所の門に南京錠がかかっていて出られない。前日に早朝出発と言っておいたのに管理人は施錠したままである。電話で管理人を起こし解錠してもらう。さらに予定の時刻になっても頼んだタクシーが来ない。10分遅れでやってきたが、海外あるあるだなあ。それでも空港にはそれほど遅れずに到着。皆そろってるかと思いきやまだ来ていない人がいる。ちょっとやきもきしたが慌てることなく本人は登場。ネパール時間と誰かが言っていたがそんなものか。
カトマンズからトレッキング出発点のポカラまではプロペラ機で移動。そこでガイドやポーターと待ち合わせるのだが予定外に仲間が1人登場。みんなびっくり。昨夜色々出発に際しあれこれ心配をしてくれた人がいるではないか。どうやら飛び入り参加で皆を驚かせたかったらしい。ずいぶん茶目っ気のある人だ。そんなわけで合計8人が用意されたオフロード車(現地ではジープと言っていた)2台に乗り込み出発点を目指す。途中の道は未舗装のところが多い。人気のトレッキングコースにつながる道とは思えないガタゴト道。こんなひどい林道はあまり経験がない。そこを運転手は巧みに進んでいく。車が壊れないか心配していたら1台の車が途中で動かなくなってしまった。どうするのかと思っていたがやり取りはネパール語なのでよくわからない。ただ自分らが先に行くとそれほど遅れずにやってきたので何とかなったのであろう。
目的地に着いたらまずはランチタイム。ダルバールという現地の定食を頼んだが、これがなかなか出てこない。1時間ぐらいしてやっと出てくる。こんなにかかるのかと思ったがこれがネパール流らしい。その後のトレッキングでも昼休みは結局1-2時間かかるのが普通と理解するようになる。

- ネパールの定番料理 ダルバート
それでもやっと出発すれば、すぐに遠方に真っ白な峰が見える。ヒマラヤの高峰アンナプルナサウスである。あの峰々を見たくてやってきたのだが、それがすぐに見られて感激。ただあの麓まで行くのはまだ何日もかかる。遠いなあ

- 最初に見えたアンナプルナサウス
初日の行動時間はそれほど長くない。急坂が続いたが元気もあったし山登りとすれば大したこともないので余裕でJhinuに到着。ただここで問題発生。予定した小屋に泊まれない。どうやらオーバーブッキングになっていたらしい。色々ガイドが交渉をしているようだがネパール語なのでさっぱり状況が理解できない。結局すぐ隣の小屋に案内されて事なきを得る。こういう交渉事はネパール語で行われるのでもうほとんどお任せ。でも同行者が信頼できる現地人でありその点では不安がなかった。部屋で落ち着いたら露天風呂に行こうということになった。近くという話だったが下り15分、登り30分となかなか大変。でも川べりの露天風呂はぬるめではあったがなかなか気分の良いものだった。ちなみに混浴。といっても全員水着を着ての入浴なのでまあ温水プールみたいなものか。

- 川沿いにある露天風呂
初日はいろいろトラブルもあったけどとりあえずは終了したなあと思って眠りについた。
翌日は7時30分朝食で8時30分発予定だったが色々あって9時ごろの出発となる。日本の山の感じだったらもっと早い出発でもおかしくないのだがこういうものだろうか。この日は谷間を行く関係で遠くの展望はなし。標高は2000m程度のところを歩くが暑いぐらい。樹木も南方系の広葉樹が多い。道は一般の生活道路であり牛や馬の糞がやたらあちこちに落ちている。また荷物を持ってくれるポーターたちの何と多いことか。背負子は肩と頭に掛けたベルトで運ぶようで腰ベルトのようなものは誰も使っていない。この格好はTVなどで見たそのままだ。時々馬も通っていく。

- 荷を担ぐポーターたち

- 荷を運ぶ馬たち
人家は沢山有れど車の通れるような道ははなく皆人力で物資を運んでいる。これが当たり前なんだろうけど現代においてなおこういう生活を続けているのかと思うと、なんだか不思議な気がしてくる。一方でこの辺りでは皆スマホを持っていて人家が見えない山中でもよく通じる。ポータも時々電話で何かやり取りをしている。多分電話のない時代からいきなり携帯電話の世界に入ったのだろう。電気も貴重で昼間は使えなかったりする。なんだかすごい。
この日はなんだかんだ言っても3時ごろには到着。夕食はいつも7時か8時と遅い。その間現地の仲間はお酒を飲みながらトランプ遊びに興じる。びっくりしたのは新品のトランプを3組混ぜてしまうこと。それでポーカーか麻雀に似たゲームをしている。やるかと言われたがルールがまるで分らないから見ているだけ。でもネパールでは結構主流のゲームらしい。自分は持参したチョコレートの「キノコの山」を配ったが旨いらしくすぐに無くなった。
3日目は当初Dovanまでの予定だったが、翌日以降の行程が楽になるからということで急遽Himalayaに変更。日本のツアートレッキングなら当初予定をこんなにも簡単に変えられるとは思えないがここでは問題ないらしい。今日も8時朝食で9時出発。他の人はもう出払っている感じ。なんかこんなにゆっくりでいいのだろうかとやきもき感がぬぐえない。朝方雨が降っていたのでそれがやむのを待っていたのだろうか。このあたりの判断がよくわからない。
このころになると現地の人ともずいぶん打ち解けてきて、名前も何とか覚えることができた。ジョティ、ニシェル、バサンタ、サントス、ラム、サンジュバン。自分が教授の友人ということで中にはずっとプロフェッサーと呼びそれなりに遇してくれる人もいる。プロフェッサーではなく自分はもともとエンジニアだと説明していたが、呼ぶのをやめないので面倒くさくなりその人の前ではずっとプロフェッサーだった。山好きの人で歩くペースが似ていたこともありその人とはずいぶん自撮りで写真を撮ってもらった。やたらめったら撮りたがるのだ。ネパールはヒンズー教が主流だが仏教徒も多い。彼らの出自がどこかは聞いていないが食事で2人ばかりはナイフやフォークを使わずに右手一本で食べている。ご飯にスープをかけて食べるのが定番料理でスープをかけると自分などはスプーンを使わないとうまく食べられないのだが、彼らは器用に食べている。インドで一度だけ一緒に食事をした人が手で食べているのを見たが、やはり日常的に手で食べているんだと改めて認識した。日本ではまずお目にかかれない光景だ。
翌朝出発の準備をしているとヘリコプターがやってきた。レスキューかと思ったが小屋わきの小さなヘリポートに着陸。すごい風でポリバケツ等が飛んでくる。僕も帽子を飛ばされる。何の予告もなくやってきてびっくりだがプロペラの回転が止まらぬうちに若い女性が3人ほど乗り込みすぐに飛び立っていった。緊急搬送にしては元気そうだったしあれはなんだ。疲れたからタクシー代わりに呼んだのだろうかと憶測するがよくわからぬ。
この日はMBCまで。このあたりに来るとマチャプチャレという高峰がだんだん見えてくる。いよいよアンナプルナベースキャンプも近く高山帯に踏み込んだような気がしてくる。MBCの標高は約3700m。富士山の頂上と同じような高さにある。ただゆっくりとやってきたのでそれほど息苦しさを感じない。食欲もあるし体調はばっちりだった。ただ同行する一人が高山病の兆候があり今一つ体調がよくないとのこと。確かにゆっくり歩いている。このメンバでは29歳と一番若いのだがそれは関係ないらしい。色々話があったようだがネパール語でやり取りしているのでよくわからない。結局ネパール人たちはこの日はMBCに泊まるのだが翌日の最高点のABCには泊まらず早朝の景色だけを見て下のほうで泊まるという結論に達したようだ。ただ日本人である我々はABCでの夕刻、早朝の景色を見たいのと希望があり翌日からは別行動とすることになった。自分らは66歳。他の人は1人を除き29歳から40歳と若い。自分たちが4130m地点に泊まることを危ぶむ空気もあったが、時計についている血中酸素濃度を測定すると2人とも90を超えていた。高所でこの数字なら問題ないらしい。
そんなこともあって翌日からは別行動となった。
翌朝彼らは4時出発でABCに向かう。いつもは時間にルーズな彼らだがこの日はきっちりと出発したらしい。アンナプルナの絶景は早朝しか拝めない。日が昇ってくるとガスに包まれて見えなくなるのが常なのでそれをみんなも承知しているのだ。我々2人は翌朝の好天を期待してゆっくり出発する。ABCまでは1.5時間ほどのところ。そこを上からどんどん人が下りてくる。早朝の景色を楽しんだ人たちだ。半端ない数の人だ。夜明け前のかなり早い時間から登ったのだろう。そして我々の仲間も降りてきた。調子の悪かった人もそれなりに元気そう。ABCでは絶景が拝めたらしい。良かったなあ。我々は明日に期待。3日後の再開を約束してお別れする。
ABCに着いた頃には周りはガスで何も見えない状態。最初はガスの中をあちこち歩きまわるがほとんど徒労に終わる。
小屋に戻って休むしかない。時間があったので食堂に行ってみると他の登山客が沢山いる中でガイドたちが集まって盛んに賭けトランプに興じている。ポーカーのような感じのものだろうが現金が飛び交っているのでそれとすぐわかる。自分たちのガイドもそこに加わっている。各国からたくさんの人が集まっている中でこれはないようなあと思うがこれは感じ方の違いか。
夕方奇跡的にガスが薄れてきた。マチャプチャレが顔を出してきた。小屋からは皆わらわらと出てきている。あちこちで歓声とともに写真を皆撮りまくっている。自分たちもその一人。いい場所を求めて撮影しつつ動き回る。他のトレッカーともお互い写真を撮りあったり。皆このの景色が見たくてはるばるやってきているのだ。でもこれもつかの間、またすぐにガスに隠れてしまった。あとは翌朝期待か。

- 夕日を浴びるマチャプチャレ
夜できれば月に照らされる山影も見たいと思い12時、3時と外に出てみるがガスで全く見えない。こんなんで早朝の絶景が見られるのだろうかと心配になるが致し方なし。夜は寒いかと思ったが意外に暖かだ。夜分にふと気づくと頭の奥のほうで妙な痛みを感じたが深呼吸を何度もするとその痛みは消えていった。軽い高山病の症状なのだろう。
翌朝は5時ごろ外に出てみるとガスが切れている。まだ明けきらぬ中で山の輪郭がはっきり見えてきた。晴れた!そう思って薄暗い中であちこちに目を向ける。今回のメインであるアンナプルナも見えている。アンナプルナサウス。そして昨日から見えていたマチャプチャレ。3時の頃のガスに包まれた天気から半ば諦めていたがやはり早朝は晴れるんだ。そんな思いで何枚も写真を撮る。ただ残念なことに日の出の頃にはガスが上がってきてしまった。残念だがこれも運。全く見えなかったわけでもないので良しとしよう。

- 夜明け前のアンナプルナ(8091m)
さあここからは帰るだけ。距離は長いが下り基調なので楽だろうと思っていたがこれが飛んだ間違い。長い下りで膝が痛くなってきた。日本で山では久しく感じなかった膝の痛みだ。痛み止めの軟膏をもらいごまかしつつ下る。しかし体がだるく食欲もなくなってくる。今まで食べていた定食も体が受け付けないのでラーメンのようなものを頼むがそれも食べられずスープを飲むだけ。下り基調とは言え登りもある。そんな中を延々と歩く。結局山中で36000歩ほどの歩きでくたくた。
これはいったい何だったのだろう。ABCでは寒いと思って厚着をしたのだがどうもそれで風邪を引いたのだろうか。そんな感じだった。そしてこの日の夜は発熱した感じとなり夜中からひどい下痢に悩まされる。何度も何度もトイレに行く。ネパールのトイレは基本的に日本の和式トイレ風で金隠しがないつくり。用を足した後はバケツに汲んだ水を自分で便器に流してきれいにするタイプ。勿論トイレットペーパーは流せないので別置きの屑籠に入れる。その方式にはだんだん慣れてきていたが、何度も何度も手酌で流すことになった。日本はボタン一つで済んで便利と改めて思う。
それはともかく翌朝の体調も最悪。幸い熱ことなさそうであるが歩くのに不安がある。ガイドに下痢のことを伝えるが英語では難しく翻訳ソフトでネパール語に訳して何とか理解してもらった。そしてくれたのが下痢の時に使う水分補給剤。水に溶かして飲むスポーツドリンクのようなもので、あまりうまくないがお腹に優しそう。この日は終始これを愛飲した。しかし歩くのがしんどい。足の痛みもどこへやら、とにかく歩くことに集中。とりあえずは皆の待つJhinuまで行く。この日は本当にきつかったのだろう。あとで気づいたら一枚も写真を撮っていなかった。ふらふらになって着くと朝方温泉にも入ってリラックスしていた彼らは笑顔で迎えてくれる。そして僕の具合の悪いことを聞き色々気遣ってくれる。持っていた下痢止め薬をくれたり少しでも荷が軽くなるように物を持ってくれようとしたり。最初は遠慮したが説得されて色々持ってもらう。ほとんど空になったザックはやはり楽だ。ここでも何度もトイレに行ったりしたが何とか少しは体力も回復。やれやれである。
十分な休憩後再び歩き出す。今度は皆と一緒。休憩の度にトイレに駆け込みながら何とか迎えの車のある所まで来ることができた。もう歩かなくていいと思うとすごく安堵。またひどいがたがた道を行くがすでに経験済の道路。それほど驚くこともなくポカラの町に着いた。この日の夜はシャワーのついたリゾートホテル。皆は打ち上げに出かけたがあまりにしんどい自分は遠慮させてもらい、シャワーを浴びた後は泥のように眠った。
前半の快適な歩きと後半は違いすぎたがこれもトレッキングの一環か。なかなかタフな旅となった。
トレッキング終わって翌日夜にはカトマンズの定宿に戻ったが疲れて次の日はほとんど外出せず寝ることになる。同行のI氏もずっと寝ていたらしい。下痢とかはなくてもこのコースはやはりきついのだろう。本調子に戻るのには数日かかってしまった。
今回の旅はネパール人6人との行動で英語を使うことが多い。そのせいなのか話すのに臆することがなくなってきて見知らぬ人にも気軽に声をかける自分がいてびっくり。ネパールはいまだ発展途上の国。道路は穴ぼこだらけ、歩道には突然大きな石が置かれていたりして歩くのに難儀する。したがって道路にはみ出すがそこはバイクが激しく行きかう場所。最初はそのバイクにおののきこわごわ歩いていたが、そのうち慣れてきて道路の横断も平然とできるようになってきた。
信号などほとんどないし横断歩道は完全に無用のものになっているのだが、皆そんなことなんとも思っていない様子。交差点に信号はないがなにか阿吽の呼吸で各々が割込み自分のルートを確保している。無秩序に見えた交通だが滞在中には接触事故を一度も目撃しなかった。何か暗黙のルールのようなものがありそれに従っていればそれなりに流れるようになっているらしい。
ネパールの川はどぶ川状態で生活排水が流れ込んでとても嫌なにおいがする。日本の川もかつてはどぶ川だったが下水道の整備により見違えるほどきれいになった。この国ではいつそのようになるのだろうか。道のりは長い。
道路は工事をしているところが結構あるが完成時期については誰も知らないし予定通りに進んだことはないらしい。また驚くのはその工事中の道路を普通に車が通っていく。通行止めにしていないのだ。日本だったら通行止めにしてきれいに舗装してから通すのだがそういう発想にならないらしい。だから工事する端から道が傷みだしているように見える。なんだこれは。当面の生活優先ということか。有料の公園(100円程度、現地人は20円ぐらいだったか)に入るとそれなりにきれいになっているが、トイレに入ったら水道が壊れているのか水が噴水のように飛び出している。でも誰も修理に来ない。なぜだろう。通りにはあちらこちらで物乞いの人を見かける。まだまだ貧しい国なんだと思う一方で行きかうバイクの量の多さや若い人たちが多くいるのを見ると、きっとこれからどんどん発展していくんだろうなという熱気みたいな物を感じる。
久々の海外旅行はトレッキングと現地人との交流そして街並み散策という刺激的なもので心が一杯になった。
Kasaya
久し振りの投稿です。今回たまたまネパールトレッキングの機会を得てその内容はフェースブックには色々投稿していたのですが、ヤブコギへのレポアップの依頼があり以下に記載します。
書きたいことが多すぎて長文になってしまいました。
【日付】2025年5月2日(金)-8日(木)
【山域】ネパール
【メンバー】I氏、Kasaya、ネパールの大学関係者6名、現地ガイド,ポーター
【天候】朝方は晴れ、昼頃雨の天気が毎日続く
【ルート】
5/2カトマンズ==飛行機==ポカラ==車==Birenthati---Jhinu(170m) 歩行約2時間
5/3 Jhinu to Upper Sinuwa 歩行約5時間
5/4 UpperSinuwa to Himalaya 歩行約6時間
5/5 Himalaya to MBC 歩行約6時間
5/6 MBCto ABC 歩行約2時間
5/7 ABC to Upper Sinuwa 歩行約8時間
5/8 508Upper Shinuwa--Jhinu--Birenthati===車==ポカラ 歩行約3時間
5/9 ポカラ観光==飛行機==カトマンズ
親しくしている学生時代の先輩(大学教授)がネパールの大学に長期滞在することになり、その間にヒマラヤトレッキングを計画しているという。一緒にどうかとお誘いがあったので迷わず同行させてもらうことにした。こんな機会でもなければなかなか行けないと思って。
トレッキングもさることながら初めてのネパールは色んな意味で新鮮でした。
現地入りは4月28日。実はまだこの時点でトレッキングの出発日は確定していなかった。色々詰めや打合せが必要なようで先輩の滞在する大学(トリブヴァン大学)に連れて行かれる。まさかネパールで大学構内に入るとは思わなかった。そこで今回一緒に同行する人たちも紹介される。この時点では5人参加ということだが名前がまったく覚えられない。聞きなれない名前だし全く頭に入らない。最終的には旅行業者もそこに呼んで細かな打ち合わせをして日程と金額が決定。
金額は7泊8日3食、ガイド、ポーター付きで950US$(135千円)は日本から行く場合と違ってかなり安いものだろう。交渉は現地の先生たちがやってくれてほとんどお任せ。ある意味気楽だった。
5/2の早朝に宿を出発といいたいところだが、宿泊所の門に南京錠がかかっていて出られない。前日に早朝出発と言っておいたのに管理人は施錠したままである。電話で管理人を起こし解錠してもらう。さらに予定の時刻になっても頼んだタクシーが来ない。10分遅れでやってきたが、海外あるあるだなあ。それでも空港にはそれほど遅れずに到着。皆そろってるかと思いきやまだ来ていない人がいる。ちょっとやきもきしたが慌てることなく本人は登場。ネパール時間と誰かが言っていたがそんなものか。
カトマンズからトレッキング出発点のポカラまではプロペラ機で移動。そこでガイドやポーターと待ち合わせるのだが予定外に仲間が1人登場。みんなびっくり。昨夜色々出発に際しあれこれ心配をしてくれた人がいるではないか。どうやら飛び入り参加で皆を驚かせたかったらしい。ずいぶん茶目っ気のある人だ。そんなわけで合計8人が用意されたオフロード車(現地ではジープと言っていた)2台に乗り込み出発点を目指す。途中の道は未舗装のところが多い。人気のトレッキングコースにつながる道とは思えないガタゴト道。こんなひどい林道はあまり経験がない。そこを運転手は巧みに進んでいく。車が壊れないか心配していたら1台の車が途中で動かなくなってしまった。どうするのかと思っていたがやり取りはネパール語なのでよくわからない。ただ自分らが先に行くとそれほど遅れずにやってきたので何とかなったのであろう。
目的地に着いたらまずはランチタイム。ダルバールという現地の定食を頼んだが、これがなかなか出てこない。1時間ぐらいしてやっと出てくる。こんなにかかるのかと思ったがこれがネパール流らしい。その後のトレッキングでも昼休みは結局1-2時間かかるのが普通と理解するようになる。
[attachment=4]P5023483.jpg[/attachment]
それでもやっと出発すれば、すぐに遠方に真っ白な峰が見える。ヒマラヤの高峰アンナプルナサウスである。あの峰々を見たくてやってきたのだが、それがすぐに見られて感激。ただあの麓まで行くのはまだ何日もかかる。遠いなあ
[attachment=6]P5023498.jpg[/attachment]
初日の行動時間はそれほど長くない。急坂が続いたが元気もあったし山登りとすれば大したこともないので余裕でJhinuに到着。ただここで問題発生。予定した小屋に泊まれない。どうやらオーバーブッキングになっていたらしい。色々ガイドが交渉をしているようだがネパール語なのでさっぱり状況が理解できない。結局すぐ隣の小屋に案内されて事なきを得る。こういう交渉事はネパール語で行われるのでもうほとんどお任せ。でも同行者が信頼できる現地人でありその点では不安がなかった。部屋で落ち着いたら露天風呂に行こうということになった。近くという話だったが下り15分、登り30分となかなか大変。でも川べりの露天風呂はぬるめではあったがなかなか気分の良いものだった。ちなみに混浴。といっても全員水着を着ての入浴なのでまあ温水プールみたいなものか。
[attachment=5]P5023534.jpg[/attachment]
初日はいろいろトラブルもあったけどとりあえずは終了したなあと思って眠りについた。
翌日は7時30分朝食で8時30分発予定だったが色々あって9時ごろの出発となる。日本の山の感じだったらもっと早い出発でもおかしくないのだがこういうものだろうか。この日は谷間を行く関係で遠くの展望はなし。標高は2000m程度のところを歩くが暑いぐらい。樹木も南方系の広葉樹が多い。道は一般の生活道路であり牛や馬の糞がやたらあちこちに落ちている。また荷物を持ってくれるポーターたちの何と多いことか。背負子は肩と頭に掛けたベルトで運ぶようで腰ベルトのようなものは誰も使っていない。この格好はTVなどで見たそのままだ。時々馬も通っていく。
[attachment=2]P5033556.jpg[/attachment][attachment=3]P5033582.jpg[/attachment]
人家は沢山有れど車の通れるような道ははなく皆人力で物資を運んでいる。これが当たり前なんだろうけど現代においてなおこういう生活を続けているのかと思うと、なんだか不思議な気がしてくる。一方でこの辺りでは皆スマホを持っていて人家が見えない山中でもよく通じる。ポータも時々電話で何かやり取りをしている。多分電話のない時代からいきなり携帯電話の世界に入ったのだろう。電気も貴重で昼間は使えなかったりする。なんだかすごい。
この日はなんだかんだ言っても3時ごろには到着。夕食はいつも7時か8時と遅い。その間現地の仲間はお酒を飲みながらトランプ遊びに興じる。びっくりしたのは新品のトランプを3組混ぜてしまうこと。それでポーカーか麻雀に似たゲームをしている。やるかと言われたがルールがまるで分らないから見ているだけ。でもネパールでは結構主流のゲームらしい。自分は持参したチョコレートの「キノコの山」を配ったが旨いらしくすぐに無くなった。
3日目は当初Dovanまでの予定だったが、翌日以降の行程が楽になるからということで急遽Himalayaに変更。日本のツアートレッキングなら当初予定をこんなにも簡単に変えられるとは思えないがここでは問題ないらしい。今日も8時朝食で9時出発。他の人はもう出払っている感じ。なんかこんなにゆっくりでいいのだろうかとやきもき感がぬぐえない。朝方雨が降っていたのでそれがやむのを待っていたのだろうか。このあたりの判断がよくわからない。
このころになると現地の人ともずいぶん打ち解けてきて、名前も何とか覚えることができた。ジョティ、ニシェル、バサンタ、サントス、ラム、サンジュバン。自分が教授の友人ということで中にはずっとプロフェッサーと呼びそれなりに遇してくれる人もいる。プロフェッサーではなく自分はもともとエンジニアだと説明していたが、呼ぶのをやめないので面倒くさくなりその人の前ではずっとプロフェッサーだった。山好きの人で歩くペースが似ていたこともありその人とはずいぶん自撮りで写真を撮ってもらった。やたらめったら撮りたがるのだ。ネパールはヒンズー教が主流だが仏教徒も多い。彼らの出自がどこかは聞いていないが食事で2人ばかりはナイフやフォークを使わずに右手一本で食べている。ご飯にスープをかけて食べるのが定番料理でスープをかけると自分などはスプーンを使わないとうまく食べられないのだが、彼らは器用に食べている。インドで一度だけ一緒に食事をした人が手で食べているのを見たが、やはり日常的に手で食べているんだと改めて認識した。日本ではまずお目にかかれない光景だ。
翌朝出発の準備をしているとヘリコプターがやってきた。レスキューかと思ったが小屋わきの小さなヘリポートに着陸。すごい風でポリバケツ等が飛んでくる。僕も帽子を飛ばされる。何の予告もなくやってきてびっくりだがプロペラの回転が止まらぬうちに若い女性が3人ほど乗り込みすぐに飛び立っていった。緊急搬送にしては元気そうだったしあれはなんだ。疲れたからタクシー代わりに呼んだのだろうかと憶測するがよくわからぬ。
この日はMBCまで。このあたりに来るとマチャプチャレという高峰がだんだん見えてくる。いよいよアンナプルナベースキャンプも近く高山帯に踏み込んだような気がしてくる。MBCの標高は約3700m。富士山の頂上と同じような高さにある。ただゆっくりとやってきたのでそれほど息苦しさを感じない。食欲もあるし体調はばっちりだった。ただ同行する一人が高山病の兆候があり今一つ体調がよくないとのこと。確かにゆっくり歩いている。このメンバでは29歳と一番若いのだがそれは関係ないらしい。色々話があったようだがネパール語でやり取りしているのでよくわからない。結局ネパール人たちはこの日はMBCに泊まるのだが翌日の最高点のABCには泊まらず早朝の景色だけを見て下のほうで泊まるという結論に達したようだ。ただ日本人である我々はABCでの夕刻、早朝の景色を見たいのと希望があり翌日からは別行動とすることになった。自分らは66歳。他の人は1人を除き29歳から40歳と若い。自分たちが4130m地点に泊まることを危ぶむ空気もあったが、時計についている血中酸素濃度を測定すると2人とも90を超えていた。高所でこの数字なら問題ないらしい。
そんなこともあって翌日からは別行動となった。
翌朝彼らは4時出発でABCに向かう。いつもは時間にルーズな彼らだがこの日はきっちりと出発したらしい。アンナプルナの絶景は早朝しか拝めない。日が昇ってくるとガスに包まれて見えなくなるのが常なのでそれをみんなも承知しているのだ。我々2人は翌朝の好天を期待してゆっくり出発する。ABCまでは1.5時間ほどのところ。そこを上からどんどん人が下りてくる。早朝の景色を楽しんだ人たちだ。半端ない数の人だ。夜明け前のかなり早い時間から登ったのだろう。そして我々の仲間も降りてきた。調子の悪かった人もそれなりに元気そう。ABCでは絶景が拝めたらしい。良かったなあ。我々は明日に期待。3日後の再開を約束してお別れする。
ABCに着いた頃には周りはガスで何も見えない状態。最初はガスの中をあちこち歩きまわるがほとんど徒労に終わる。
小屋に戻って休むしかない。時間があったので食堂に行ってみると他の登山客が沢山いる中でガイドたちが集まって盛んに賭けトランプに興じている。ポーカーのような感じのものだろうが現金が飛び交っているのでそれとすぐわかる。自分たちのガイドもそこに加わっている。各国からたくさんの人が集まっている中でこれはないようなあと思うがこれは感じ方の違いか。
夕方奇跡的にガスが薄れてきた。マチャプチャレが顔を出してきた。小屋からは皆わらわらと出てきている。あちこちで歓声とともに写真を皆撮りまくっている。自分たちもその一人。いい場所を求めて撮影しつつ動き回る。他のトレッカーともお互い写真を撮りあったり。皆このの景色が見たくてはるばるやってきているのだ。でもこれもつかの間、またすぐにガスに隠れてしまった。あとは翌朝期待か。
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夜できれば月に照らされる山影も見たいと思い12時、3時と外に出てみるがガスで全く見えない。こんなんで早朝の絶景が見られるのだろうかと心配になるが致し方なし。夜は寒いかと思ったが意外に暖かだ。夜分にふと気づくと頭の奥のほうで妙な痛みを感じたが深呼吸を何度もするとその痛みは消えていった。軽い高山病の症状なのだろう。
翌朝は5時ごろ外に出てみるとガスが切れている。まだ明けきらぬ中で山の輪郭がはっきり見えてきた。晴れた!そう思って薄暗い中であちこちに目を向ける。今回のメインであるアンナプルナも見えている。アンナプルナサウス。そして昨日から見えていたマチャプチャレ。3時の頃のガスに包まれた天気から半ば諦めていたがやはり早朝は晴れるんだ。そんな思いで何枚も写真を撮る。ただ残念なことに日の出の頃にはガスが上がってきてしまった。残念だがこれも運。全く見えなかったわけでもないので良しとしよう。
[attachment=0]P5074026.jpg[/attachment]
さあここからは帰るだけ。距離は長いが下り基調なので楽だろうと思っていたがこれが飛んだ間違い。長い下りで膝が痛くなってきた。日本で山では久しく感じなかった膝の痛みだ。痛み止めの軟膏をもらいごまかしつつ下る。しかし体がだるく食欲もなくなってくる。今まで食べていた定食も体が受け付けないのでラーメンのようなものを頼むがそれも食べられずスープを飲むだけ。下り基調とは言え登りもある。そんな中を延々と歩く。結局山中で36000歩ほどの歩きでくたくた。
これはいったい何だったのだろう。ABCでは寒いと思って厚着をしたのだがどうもそれで風邪を引いたのだろうか。そんな感じだった。そしてこの日の夜は発熱した感じとなり夜中からひどい下痢に悩まされる。何度も何度もトイレに行く。ネパールのトイレは基本的に日本の和式トイレ風で金隠しがないつくり。用を足した後はバケツに汲んだ水を自分で便器に流してきれいにするタイプ。勿論トイレットペーパーは流せないので別置きの屑籠に入れる。その方式にはだんだん慣れてきていたが、何度も何度も手酌で流すことになった。日本はボタン一つで済んで便利と改めて思う。
それはともかく翌朝の体調も最悪。幸い熱ことなさそうであるが歩くのに不安がある。ガイドに下痢のことを伝えるが英語では難しく翻訳ソフトでネパール語に訳して何とか理解してもらった。そしてくれたのが下痢の時に使う水分補給剤。水に溶かして飲むスポーツドリンクのようなもので、あまりうまくないがお腹に優しそう。この日は終始これを愛飲した。しかし歩くのがしんどい。足の痛みもどこへやら、とにかく歩くことに集中。とりあえずは皆の待つJhinuまで行く。この日は本当にきつかったのだろう。あとで気づいたら一枚も写真を撮っていなかった。ふらふらになって着くと朝方温泉にも入ってリラックスしていた彼らは笑顔で迎えてくれる。そして僕の具合の悪いことを聞き色々気遣ってくれる。持っていた下痢止め薬をくれたり少しでも荷が軽くなるように物を持ってくれようとしたり。最初は遠慮したが説得されて色々持ってもらう。ほとんど空になったザックはやはり楽だ。ここでも何度もトイレに行ったりしたが何とか少しは体力も回復。やれやれである。
十分な休憩後再び歩き出す。今度は皆と一緒。休憩の度にトイレに駆け込みながら何とか迎えの車のある所まで来ることができた。もう歩かなくていいと思うとすごく安堵。またひどいがたがた道を行くがすでに経験済の道路。それほど驚くこともなくポカラの町に着いた。この日の夜はシャワーのついたリゾートホテル。皆は打ち上げに出かけたがあまりにしんどい自分は遠慮させてもらい、シャワーを浴びた後は泥のように眠った。
前半の快適な歩きと後半は違いすぎたがこれもトレッキングの一環か。なかなかタフな旅となった。
トレッキング終わって翌日夜にはカトマンズの定宿に戻ったが疲れて次の日はほとんど外出せず寝ることになる。同行のI氏もずっと寝ていたらしい。下痢とかはなくてもこのコースはやはりきついのだろう。本調子に戻るのには数日かかってしまった。
今回の旅はネパール人6人との行動で英語を使うことが多い。そのせいなのか話すのに臆することがなくなってきて見知らぬ人にも気軽に声をかける自分がいてびっくり。ネパールはいまだ発展途上の国。道路は穴ぼこだらけ、歩道には突然大きな石が置かれていたりして歩くのに難儀する。したがって道路にはみ出すがそこはバイクが激しく行きかう場所。最初はそのバイクにおののきこわごわ歩いていたが、そのうち慣れてきて道路の横断も平然とできるようになってきた。
信号などほとんどないし横断歩道は完全に無用のものになっているのだが、皆そんなことなんとも思っていない様子。交差点に信号はないがなにか阿吽の呼吸で各々が割込み自分のルートを確保している。無秩序に見えた交通だが滞在中には接触事故を一度も目撃しなかった。何か暗黙のルールのようなものがありそれに従っていればそれなりに流れるようになっているらしい。
ネパールの川はどぶ川状態で生活排水が流れ込んでとても嫌なにおいがする。日本の川もかつてはどぶ川だったが下水道の整備により見違えるほどきれいになった。この国ではいつそのようになるのだろうか。道のりは長い。
道路は工事をしているところが結構あるが完成時期については誰も知らないし予定通りに進んだことはないらしい。また驚くのはその工事中の道路を普通に車が通っていく。通行止めにしていないのだ。日本だったら通行止めにしてきれいに舗装してから通すのだがそういう発想にならないらしい。だから工事する端から道が傷みだしているように見える。なんだこれは。当面の生活優先ということか。有料の公園(100円程度、現地人は20円ぐらいだったか)に入るとそれなりにきれいになっているが、トイレに入ったら水道が壊れているのか水が噴水のように飛び出している。でも誰も修理に来ない。なぜだろう。通りにはあちらこちらで物乞いの人を見かける。まだまだ貧しい国なんだと思う一方で行きかうバイクの量の多さや若い人たちが多くいるのを見ると、きっとこれからどんどん発展していくんだろうなという熱気みたいな物を感じる。
久々の海外旅行はトレッキングと現地人との交流そして街並み散策という刺激的なもので心が一杯になった。
Kasaya