【日 付】 2025年2月15日
【山 域】 伊吹山地 五台山、虎子山周辺
【天 候】 晴れ
【メンバー】夫 sato
【コース】 上板並と吉槻の間にあるチェーン着脱場~△992.5~・1047五台山~
江美国境稜線~△1183.2虎子山~・1163~・630~足俣川林道~
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物忘れが多くなったり、集中力が続かなかったり、からだのあちこちに不具合を生じたり、疲れやすくなったり・・・
頭とからだの衰えを感じることが増していくのとともに、過去を振り返ることも多くなった。
ご縁。様々な場面で、「ご縁」という言葉が使われ、わたしも使ってきたが、ここ数年、父が亡くなってからだろうか、
人、物事の巡りあわせや繋がり、関わりあいを意味する「縁」という響きが持つ重さ深さを、しみじみと感じるようになった。
人生は、様々なご縁が繋がり繰り広げられていく。そして、思いもかけないゆたかな世界に出会ったりする。わたしも然り。
旅先で夫と出会ったことにより京都で暮らすことになり、京都とその周辺の山に興味を持ちはじめた。
図書館に行っては山の本を探して借りていた時、『近江の山』『近江湖西の山を歩く』に出会い、
近江の山の魅力、地図を見て想像し創造する山歩きの面白さにとりつかれた。
『琵琶湖の北に連なる山』を読んで、近江への思いが募っていき、13年前、山とうみを感じるこの地に移り住んだ。
そして今、近江の山、その向こうに連なる山やまを楽しんでいるわたしがいる。
『琵琶湖の北に連なる山』は、山を見て、山を歩き、山を想いながら近江で暮らすよろこびを感じさせてくれる本となっている。
本を胸に、湖西から湖北、さらに先へ。雪の季節になると、うみの向こうに連なる白き山やまへ吸い込まれていくように向かっている。
その湖北の山で、ずっと気になっている山があった。本の中でも、ひとつだけ、まだ訪れたことがない山として残り続けている。五台山だ。
五台山のページは、「天平の時に思いを馳せる」という標題で、
「天平の頃、聖武天皇は夢の中で文殊菩薩の霊場として知られる唐の五台山に登り、文殊菩薩から教えを授かったという。
そこで聖武天皇は行基に五台山に似た山を探し寺院を建立するように命じた・・・・吉槻の五台山と名付けられたピーク周辺の地形は、
数個のピークが連なる台地状の形をしており、まさに五台山である・・・」と書かれている。
近江の五台山。地図で確認して、わぁほんとうだ、と胸が高鳴った。
眺めていると、5つのピークが山上に浮かぶ蓮の花のように見えてきた。
・1047から国境稜線にかけての尾根と谷が複雑に入り組む地形にも目が惹きつけられた。
3年前の3月に、よし行こう、と思い立ち家を出た。
江美国境稜線の虎子山が、わたしも「いい一日」を感じたお山としてこころに残っていて、先ず五台山に登り、
時間に余裕があったら、国境稜線に出て虎子山へと周回するつもりだった。
ところが、ふっと文中のクマの足跡を見たという一行が浮かんで来て頭から離れなくなり、クマに遭うのではと怖くなってしまった。
結局、その日は、花房尾から金糞岳を訪れた。
それ以来、五台山=クマとなってしまい、夢見つつも、ひとりで訪れるのが怖い山となってしまった。
機会は、突然やってきた。2月15日、夫の仕事が中止となり、ふたりで奥美濃方面の山に行くことになった。
ところが、14日、仕事を終えて帰ってきた夫が、もう少し近くの山にしないかと言ってくる。
「じゃあ、五台山は?虎子山との周回で」思わず提案していた。
「五台山?『琵琶湖の北に連なる山』に載っている山?」
夫も熟読している。直ぐに話はまとまった。
前置きが長くなったが、夢見続けていた五台山に向かう時がやってきた。
上板並と吉槻の集落の間にあるきれいに除雪されたチェーン着脱場に車を置かせていただき、足俣川に架かる橋を渡り尾根に取り付く。
植林地には、水路と石積みが見られ、かつては田畑だったことを物語っている。
雪質はモナカ雪の箇所が多い。山中に、バリバリと音を轟かせながら進んでいく。
半分植林、半分雑木林の地味な風景が続く。・684を過ぎると尾根は急こう配に。
バリッと踏んだ雪が崩れて足が滑るので、木を掴みながらの登りとなる。
お互い歩きやすい所を選び、黙々と登っていく。
傾斜が緩やかになり、細い木が立ち並ぶ雑木林の間を縫っていくと、視界が広がり雪原が見えた。わぁっ、とうれしくなる。
・946から△992・5にかけて尾根が細くなったあたりは雪庇が出来ていて東側の眺望が開け、振り返ると水色の空におおきな伊吹山。
あらゆる世界を見つめる空の旅を終えた巨大な白い船のような超然泰然たるお姿に見入ってしまう。
5つのピークは、これまでと同じような植林と雑木林。木立の向こうの、まっ白に光り輝く金糞岳の神々しいお姿に目を奪われ、
聖なる台地も実感がわかずに通り過ぎてしまう。
30m下り40m登って一番広い台地・1047に辿り着いた。
ぱぁっと眺望が開けることもなく、うつくしいブナ林もない。眼前には国境稜線の山がでんと鎮座している。旅の途中という感じの山頂だ。
5つの山上の台地が並ぶ、知恵を司る文殊菩薩さまの聖地、近江の五台山は、山上に咲いた蓮の花のような別天地ではなかったが、
むかしむかしから、人々が生きるために分け入ってきた歴史を感じる趣のある山だった。
11時。ここまで4時間ちょっと。虎子山に向かえる。細長い山頂の真ん中過ぎたあたりから北へと進んでいく。
楽しみにしていた複雑な地形もほとんど植林で、地形の妙を楽しむとまではいかなかったが、
村人は、孫のため、子孫が食べることに困らないよう、こんなところにまでスギを植えに来ていたのだとしんみりとなる。
12時少し前に、気が付くと国境稜線に着いていた。左右から谷がきゅっと入り込んでいて、稜線は飛び出たような形を描いている。
姉川上流域の山村は、美濃との繋がりが深く、ふるくから国境稜線を越えて人びとが行きしていた。
石臼作りで知られる曲谷からは、西谷越、サナギ谷越と呼ばれた美濃とを結ぶ道が存在していたという。
サナギ谷越の道は、五台山北から緩やか地形を縫っていき、西谷二俣合流地近くまで尾根道だったのかなぁ、
とあたりを見渡しながら思ったりする。
近江側は植林が目立つが、美濃側はブナ林となり眺望にも恵まれる。
ぼんやり景色を眺めている間に、暑い暑いと言って後ろを歩いていた夫が、いつの間にかさっさと先に行ってしまっていた。
1090mの細長い小ピークを越えると、おおきな雪庇に飾られた三角おにぎりのような虎子山が眼前に迫ってきた。
近江側の植林がなかったら上谷山のような麗しいお姿なのに、と思ったが、波打つ雪稜にわくわくする。
そう、虎子山からこの雪稜を見下ろして、いつかこちらから登ってみたいなぁと思ったのだ。
稜線に出てから、スノーシューがほとんど潜らなくなった。夫は調子が上がったのか、50mの急坂をスタスタと登っていく。
登り切るとつるりとした雪原に出た。
美濃側には、のびのびと枝を伸ばしたうつくしいブナの木が佇む浅い谷地形が広がっていて、思わずほおが緩む。
ここから細長い山頂に入っていく。
振り返ると、金糞岳、国境稜線、貝月山、奥美濃の山やまがうつくしい山襞を描きながら連なり、その奥に白山が純白に光り輝いている。
東には、御嶽山、乗鞍岳、アルプスの峰々も望む。あぁ、この眺めも忘れられなかったのだ。
虎子山山頂は、風もなくぽかぽか春の陽気。時間は13時を過ぎたばかり。
ゆっくり景色を味わいながら、夫は山座同定にいそしみながら、平和なコーヒータイムを楽しむ。
あまりにもぽかぽか穏やかだったので、珍しく50分近く休憩していた。
14時前、山頂を後にする。
虎子山はひたすらラッセルしながら植林の中を登り、それだけに稜線に出てからの眺望に感激した思い出が残っているのだが、
伊吹山を眺める素敵な尾根歩きは、・946まで続いた。
植林に入る頃には、緩んだ雪にズボズボと潜るようになり、快適とはいえない歩みとなる。冬靴を履いてきたのに、靴下もびしょ濡れだ。
・630を過ぎ、鞍部から西に延びているショートカットの破線道を辿ることにする。
はじめは堀割道があったが不明瞭となり、急斜面をトラバースする羽目に。
深雪の急斜面のトラバースは避けるべきと認識しているのに、堀割道に誘われてしまった。
林道に降り立つと、ワカンとスキーの跡が付いていた。しかも複数。何なのだろうと思いながら歩いていたら、
ひとりのお兄さんが現れ、今日は、猟師さんが集まり、シカとイノシシ狩りに出かけたのだと教えてくれた。
そういえば、お昼頃、遠くでバーンという音が聞こえていた。
車道に出ると、奥伊吹スキー場から帰る車がひっきりなしに走って来て緊張する。
16時20分、駐車地に到着すると、いつものことだけど、夫はせかせかと片付けをして助手席に乗り込んだ。
以前は夫と半々に運転していたが、数年前からはほとんどわたしが運転している。
出発すると、やはりいつものように、スマホでメールやラインのチェックを始めた夫に、
この人は、山の余韻に浸ることはないのかと思ったが、夫がこうして始終仕事のメールをチェックするのも、
仕事でいろいろな方とご縁が出来たから、そして、仕事があるおかげで好きなお山で遊ぶことができ、
今日は、夫が予定を変更したいと言ったから夢見たコースを歩けたのだと気付く。そう、ご縁のおかげだ。
「すべてのご縁に感謝ですね」
ハンドルを握りしめながら、窓の外に広がる青みが失せた夕方の空にそびえ立つ伊吹山をちらりと横目で仰ぎ見て、
ちいさく頭を下げる。
sato