【 日 付 】2024年9月25日(水)
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】近鉄津新町駅 6:33 ---

--- 6:53 近鉄松阪駅 7:22 ---

--- 8:03 柿野 8:16 --- 9:36 坂の下 --- 10:36 峠 --- 10:55 休憩 11:10 --- 12:09 道の駅美杉 13:03 --- 13:46 飼坂峠 --- 14:45 JR伊勢奥津駅 15:08 ---

--- 16:36 松阪駅 16:57 ---

--- 17:15 近鉄津新町駅
今年の猛暑で花期が遅れるかと思ったら,例年とほぼ同じ時期に彼岸花が咲いたようだ。最高気温が30度を下回る日も出てきたので,久しぶりに彼岸花が咲く山村風景を楽しみながら1日歩いてみることにした。
三重県には伊勢神宮があるため,江戸時代を中心にお伊勢参りの街道が栄えた。江戸からは四日市の追分で東海道から分岐した参宮街道がある。京都からは亀山市関で東海道から伊勢別街道が派生する。大阪,奈良からは伊勢本街道,初瀬街道,和歌山街道などが伊勢に向かっている。さらに,伊勢神宮と熊野三山を結ぶ街道として熊野古道伊勢路が使われた。
伊勢本街道は,南北朝時代以後に伊勢国司北畠氏が現在の津市美杉町の多気に城下町を作り、街道を整備したことにより,大阪や奈良からのお伊勢参りの旅人が多く利用したとされている。このうち,奈良県榛原から三重県飯南町までの区間は,現代の鉄道網,高速道路網から外れているため,古の山村風景を色濃く残す区間となっている。
飯南町柿野でバスを降り,国道166号線を右に折れて柿野の集落内の道を歩いていく。今日の行程の大部分は国道368号線に沿っているが,国道改修工事で旧国道になった部分が半分以上あり,これらの部分は旧来の静けさを取り戻しつつある。道は櫛田川の支流である仁柿川の清流を左に見ながら続いている。川の土手に彼岸花の群落が真っ赤に咲いている。彼岸花は縁起の悪い花として嫌う人もいるようだが,この時期の山村を鮮やかに彩ってくれるこの花を私は好きである。途中,弘法大師御堂や室町時代の赤松氏の家臣の自刃場所である赤松塚などを見ながら歩いていく。

- 古坂道と櫃坂道の分岐
坂の下の集落で,国道358号線を右に見送り,伊勢本街道は仁柿川に沿って西へ向かう。途中,江戸時代初期まで使われていた古坂道と江戸時代初期に新たに開かれた新坂道が分岐する。古坂道は奈良県の御杖神社から川上,丹生俣を経て仁柿に至るコースである。案内書には比較的楽なコースをされているが,わりばしさんのレポだとコースが不明瞭な場所があり,今歩くには必らずしも楽なコースとは言えなさそうである。仁柿からの古坂道は平成23年に地元の有志により復旧されたと書かれているが,ちょうど古坂道となるコース上に新しい車道が建設中であり,もしかしたら消えているかもしれない。

- 櫃坂道
ちなみにわりばしさんのレポは以下のURLで見ることができる。
https://yabukogi.net/viewtopic.php?f=4& ... 937#p33937
私は新坂コースの櫃坂道をたどることにする。古道らしく,一定勾配の歩きやすい道であるが,峠集落の手前は結構な急坂になっており,昔の街道とは違っているかもしれない。

- 峠
斜面を登りきると国道368号線に合流し,旧峠集落に出る。ここは分水嶺になっているようで,東側の仁柿川は櫛田川となり,西側の立川川は雲出川となる。峠集落は昔の宿場だったようだが,すでに廃村になっているようだ。と思っていたら一軒の農家で作業しているご婦人を見かけたので挨拶をすると,思いがけず若い声が返ってきた。40台か50台くらいだろうか。老人しかいないこの辺りでは珍しいことである。
道端に「神去村へようこそ」という看板がある。そういえば,美杉村は三浦しおんの小説「神去なあなあ日常」の舞台になったところだった。三浦しおんの祖父母が美杉村で暮らしていたらしい。

- 多気宿
立川川に沿ってゆるゆる下って行くと上多気の宿場に着く。民家の軒先に昔の旅籠や商家の屋号らしい看板が設置してある。伊勢本街道を通しての地域おこしの一端なのだろう。昔を偲ぶよすがとして悪くはない。道端には六部供養碑なども残されている。近くに道の駅美杉があったので,ちょうどお昼時ということもあり,昼食がてら寄って行くことにする。

- 飼坂峠登り口
近くに北畠神社があるので寄って行こうかと思ったが,行き帰りで1時間ほどかかりそうなのでやめて先を急ぐ。今日の行程中の最後の難所飼坂峠に向かってゆるゆると登って行く。伊勢本街道で一番の難所と言われる峠越えである。最初のうちは道がはっきりしていたが,伐採地の鹿避けネットが現れると道は消えた。鹿避けネットの間の細い草地をススキをかき分けながら進んでいく。街道歩きでやぶこぎをする羽目になるとは思わなかった。ススキの葉っぱですり傷を作りながらなんとか飼坂峠に到着。峠には東屋もあるが,利用する人はほとんどいなさそうだ。

- 奥津宿
峠を越えると,道は明瞭になり,しばらくで国道に出る。国道を横断し,実線道を歩いて行く。しばらくで奥津の谷口集落である。民家の軒先に昔の屋号などを書いてのれんが下がっている。残念ながらそれらの民家の多くはすでに空き家になっているようだ。宿場の大きな旅籠だったのであろう民家がほぼ原形を保って維持されている。残念ながらここも無住のようだ。

- 首切り地蔵
歩いている道のすぐ近くを名松線のマッチ箱のような電車が通り過ぎていく。おそらく,伊勢奥津駅で折り返して私が乗る予定の電車になるのだろう。伊勢奥津駅に着くと,さっきの電車から降りたのであろう観光客らしい人たちが3,4人歩いている。こんなところに見る場所があるのだろうかと思い,駅前に来ると観光案内に「のれん街」と書いてある。なんのことかとしばらく考えて,さっきの屋号を書いたのれんのことを思い出した。伊勢本街道を利用した地域おこしの一環のようだ。残念ながら,観光客を誘致するには大した魅力にはなっていないように見受けられた。
伊勢奥津駅から10キロほど歩いた山中に三重大学の演習林がある。50年ほど前,学生の頃に研究のために演習林に一人で1週間泊り込んだことがある。その後も車で何度か演習林に来たことはあるが,奥津駅を利用したのは50年前以来のことだった。50年前のこの駅がどんなだったかは全く思い出せないが,おそらく街並みも含めてそれほど変わっていないだろう。
演習林に泊まり込んでいた時に,演習林の裏山の稜線(三峰山の東の稜線,その頃は背丈を越えるような笹やぶだった)で3,4mもありそうな大蛇に遭遇して逃げ帰ったことを今でもよく覚えている。
15時8分発の松阪行き普通電車に乗って帰る。昔ながらの山村風景を楽しみながらのよい1日だった。ただ,昔と異なるのは人の姿が消えていることだった。今はまだ村に残った年寄りの努力によってこの風景が維持されているが,いつまで維持できるかを考えると心もとない気がする。そんなことを考えながら歩いた1日だった。