
- 光法池のハス
【 日 付 】2024年6月26日(水)
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り時々晴れ
【 ルート】近鉄津新町駅 6:10 ---

--- 6:12 津駅 6:26 ---

--- 7:09 JR田丸駅 7:16 ---9:55 相可高校前バス停 10:05 --- 11:38 津留の渡し場 --- 11:56 上茅原 12:32 --- 13:01 小片野バス停 13:40 ---

--- 14:20 松阪駅 14:33 ---

--- 14:52 近鉄津新町駅
ようやく梅雨入りとなった最初の週,最高気温が30度を超えたら街道歩きから沢遊びに移行するつもりだったのだが,まだ梅雨も本格的ではなく,曇り空で最高気温は30度を超えないようなので伊勢本街道を歩くことにした。
津新町駅から近鉄電車で津駅に行き,津駅でJRに乗り換え,多気駅で参宮線に乗り換えると1時間弱で田丸駅に着く。多気駅以降は伊勢の高校に通う高校生が乗り込んで車内は賑やかになる。宇治山田商業は野球の強豪校で,真っ黒に日焼けした野球部員なども乗っている。
乗り込む大勢の高校生とすれ違うように田丸駅に一人降りると,無人の駅舎には誰もいなくなる。駅から少し歩いて田丸城跡に出る。田丸城は1336年に北畠親房が南朝側の拠点として築いたのが最初で,その後,1569年に織田信雄が城主となり,天守などを築いている。江戸時代には紀州藩領となり,明治まで続いている。

- 道標
石垣などは残っているので見学していこうかと思ったが,城内は中学校の校舎になっているようで,中学生が登校していくので,邪魔にならないように遠慮して通り過ぎる。
田丸は熊野街道と伊勢本街道との合流地点になっており,またここから熊野街道を西に行ったところの野中の集落では和歌山別街道が合流している。そのため,田丸には各地からの伊勢詣での旅人が集まり,江戸時代には宿場町として賑わったらしい。

- 田丸城跡
伊勢本街道の始点には,「右 松阪道,左 はせ道」と書かれた真新しい石標が立っている。ここを左に入って,伊勢本街道を進む。道は舗装路であるが,車の通りは少なく,ホッとするところである。
余談だが,先日6月10日から14日の5日間をかけて,群馬県高崎から長野県下諏訪まで中山道を歩いてきた。中山道や東海道は昔からの交通の主要路線であり,かなりの部分が交通量の激しい国道と重なっている。そのため,宿場跡や峠越えのルートを除き,トラックなどが走る国道脇を歩くことが多く,そのような場所ではトラックに怯えながら歩くことになる。その点,伊勢本街道などは昔ながらの道が残っており,中山道や東海道を歩いた直後の身にとってはホッとできる。
道は参宮線の北側を西に向かって続いている。雑木林の中の道の進行方向に軽トラックが止まった。中から出てきたのは蜂に対する防御服に身を包んだ人物だった。一目で養蜂家とわかったので,「養蜂をしているんですか?」と聞くと,「そうです」と答えが返ってくる。網の中の顔は意外に若く,30台くらいだろうか。物腰が柔らかく,高い教育を受けてきた人物のように思われた。「この奥なんですか?」。「そうです」。三重県で養蜂家を見かけることはまれなので,いろいろ聞きたかったのだが,仕事の邪魔になっても申し訳ないので,そのまま別れた。歩いていると色々な人に会うものである。
参宮線の線路を越えて西へ進み,さらに紀勢本線の線路を越えると相可(おうか)の町である。この町も昔の宿場町だったようで,昔ながらの宿場町の面影が残っている。相可高校前のバス停のベンチに座って一休み。相可高校はたしか昔は農業高校だったと思うのだが。食物調理科という科があり,この科の生徒が中心になって運営している「まごの店」という高校生レストランが安価で味が良いという評判で,高校自体の人気も高いと聞いている。

- 相可の街並み

- 相可の道標
このあと,伊勢本街道は櫛田川を右に見ながら川に沿って西に向かっている。伊勢自動車道と交差する手前に光法池というハス池があり,ちょうどハスの花が綺麗に咲いている。

- 櫛田川
伊勢自動車道のガード下をくぐり,伊勢本街道はさらに西進している。しばらく行くと津留の渡し場。今は立派な橋がかかっているが,江戸時代には渡し船で櫛田川を渡ったらしい。和歌山街道は高見峠を越えたあと,一貫して櫛田川の左岸を通っているが,小片野で伊勢本街道が分岐し,津留の渡し場で川を渡って伊勢神宮まで右岸をそのまま通ることになる。

- 津留の渡し場付近
朝のうちは薄曇りで陽光が遮られ,適度な風が吹いていることもあって暑さを感じなかったのだが,徐々に青空が広がってきて,お昼頃には結構暑くなってきた。気温は30度ほどもあるだろうか。上茅原で木陰を見つけて一休みすることにする。今日の終着点である小片野まではあと30分ほどだろう。時間も早いのでのんびりしていこう。街道歩きもいいが,暑い時期はアスファルトからの照り返しもあって厳しい。。
上茅原から小さな峠を越えると国道166号線に合流し,そこから歩いてすぐで小片野のバス停だった。まだ午後1時である。40分ほど待って1時35分のバスで松阪に帰る。いつもは空いているはずのバスだが,期末試験の最中らしく飯南高校の高校生でバスは満員だった。
今年春から思いついて和歌山街道を歩き,さらに今回伊勢本街道の一部を歩いた。歩き始めた頃は全く気づいていなかったのだが,この旅は櫛田川の源流から河口近くまでを辿る旅として一貫したテーマを持っていたのだった。櫛田川は飯高の山中を集水域として伊勢湾に流れ込む川である。
その源流域には,支流である蓮川の上流域の中の谷,奥の平谷,千石谷,ヌタハラ谷,木屋谷川,そして木梶川の源流の谷,三峰山から流れ出るわさび谷など,沢ノボラーとして自分自身の目で最初のひとしずくを確認した多くの谷々がある。それらの水を集めた櫛田川を眺めながら上流域から河口近くまで歩き通すことができた今回の旅は,最初は全く意図しなかったものにしろ,終わってみるとそれなりに共通のテーマに貫かれた歩き旅であった。
高見峠は紀伊半島の分水嶺であり,そこから東に流れ出る水は櫛田川として伊勢湾に注ぎ,西に流れ出る水は吉野川から紀ノ川となって瀬戸内海に注ぐ。近いうちに機会を見つけて和歌山街道を高見山から和歌山城下まで歩いてみようと思っている。紀ノ川を最初の一滴から辿るまた別の旅になるに違いない。