【鈴鹿】御池鉱山跡他(イブネ)

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展開ビュー トピックのレビュー: 【鈴鹿】御池鉱山跡他(イブネ)

Re: 【鈴鹿】御池鉱山跡他(イブネ)

by むらまさ » 2024年6月05日(水) 11:19

わりばしさんレスありがとうございます。

イブネ・クラシは余り興味がなく、小峠から高昌山のルートは少し興味有りました。

イブネ・クラシも今はだれでも行けますが、私の学生時代は熊笹の深い海で
なかなか近づけない場所でした。
熊笹が高すぎて現在地を確認するのも一苦労でした。


1992年の奥村さんの絵地図にもイブキザサひどしと書かれていますね。

石の階段が所処に有り、2年前にに永源寺地区まちづくり協議会の主催で千種街道を甲津畑から
歩いた時に教えてもらい細くて長い階段を登ると、そこには金山神社がかって有ったであろうという
丁寧に作られた石積が残っていました。
近江鈴鹿の鉱山の歴史には、御池鉱山にあった、「大正七年九月吉日」「御池鉱業株式会社」の文字が墨書された金山神社の太鼓が、永源寺甲津畑の麻太商店に保管されていると書かれています。


「鬼滅の刃」の時代ですね。
佐目という名前と言いお金明神といい古くから鉱山と製錬に関わってきた山域です。


佐目子谷からお金明神の参拝に行きたいです。

御池鉱山の小学校跡の階段の前に永源寺地区まちづくり協議会の案内板が有り、ここは御池鉱山旧跡。
この地域には向山・御池・国位・高昌・大蔵の鉱山があり、主に銀・銅を採取していた。
明治末期の全盛期には300人余りが働いていたという。
この辺りに金山神社や高昌尋常小学校の跡も残る。と記されています。


高昌のあたりは江戸時代から採掘されていて、徐々に広がっていったんでしょうね。

鈴鹿の近江側は鉱山だらけですね。
明治6年甲津畑銅山絵図(近江国物産図説の一部)
明治6年甲津畑銅山絵図(近江国物産図説の一部)
近江国蒲生郡甲津畑村銅山絵図(滋賀県立図書館 近江デジタル歴史街道より)
イブネ東南の下重谷(ギジウ谷)と猪ノ子谷(亥ノ子谷)の間は高昌山の高昌鉱山ではないか?と。

盛況時の御池鉱山(奥井益夫さん所蔵)
盛況時の御池鉱山(奥井益夫さん所蔵)
2022年5月の近江鈴鹿の鉱山の歴史の著者の中島伸男さんの講演時の資料より

西尾寿一さんの鈴鹿の山と谷
西尾寿一さんの鈴鹿の山と谷

千種街道沿いに石積の下に穴が!上から確認すると精錬窯が有りました。
奥に向かって狭くなっている斜面に手前から3連・2連・1個の精錬窯が有りました。
街道沿いに6個も精錬窯が残っていたので、すごくびっくりしました。


ここは時代が新しい事もありますが、きれいに残っていますね。

きれいに残っていてびっくりしました。

今度はテン泊で御池鉱山跡と高昌鉱山跡探索したいです。
奥村さんの絵地図には910mの所に破線道が書かれています。
高昌鉱山から御池鉱山までトロッコで鉱石を運んだ時の道・小学校に通った道を探したいですね。


奥村さんの絵地図(杉峠~イブネ・クラシ)
奥村さんの絵地図(杉峠~イブネ・クラシ)

高昌鉱山のトロッコ車輪のある所から道っぽいのが続いていました。
碍子も見たことあるなあ。
探索楽しみにしています。
お疲れさまでした。


トロッコ道見つけたら報告します。

飯高JAZZCAFEにもまた寄ってあげてください。

JAZZ CAFE良い雰囲気です。
移転するらしいですね。
しばらく移転でお休みされるとか。
引越手伝いますよと言って来ました。
                     

Re: 【鈴鹿】御池鉱山跡他(イブネ)

by わりばし » 2024年6月05日(水) 05:07

おはようございます、むらまささん。

イブネ・クラシは余り興味がなく、小峠から高昌山のルートは少し興味有りました。

イブネ・クラシも今はだれでも行けますが、私の学生時代は熊笹の深い海で
なかなか近づけない場所でした。
熊笹が高すぎて現在地を確認するのも一苦労でした。


石の階段が所処に有り、2年前にに永源寺地区まちづくり協議会の主催で千種街道を甲津畑から
歩いた時に教えてもらい細くて長い階段を登ると、そこには金山神社がかって有ったであろうという
丁寧に作られた石積が残っていました。
近江鈴鹿の鉱山の歴史には、御池鉱山にあった、「大正七年九月吉日」「御池鉱業株式会社」の文字が墨書された金山神社の太鼓が、永源寺甲津畑の麻太商店に保管されていると書かれています。

「鬼滅の刃」の時代ですね。
佐目という名前と言いお金明神といい古くから鉱山と製錬に関わってきた山域です。


御池鉱山の小学校跡の階段の前に永源寺地区まちづくり協議会の案内板が有り、ここは御池鉱山旧跡。
この地域には向山・御池・国位・高昌・大蔵の鉱山があり、主に銀・銅を採取していた。
明治末期の全盛期には300人余りが働いていたという。
この辺りに金山神社や高昌尋常小学校の跡も残る。と記されています。

高昌のあたりは江戸時代から採掘されていて、徐々に広がっていったんでしょうね。


千種街道沿いに石積の下に穴が!上から確認すると精錬窯が有りました。
奥に向かって狭くなっている斜面に手前から3連・2連・1個の精錬窯が有りました。
街道沿いに6個も精錬窯が残っていたので、すごくびっくりしました。

ここは時代が新しい事もありますが、きれいに残っていますね。


今度はテン泊で御池鉱山跡と高昌鉱山跡探索したいです。
奥村さんの絵地図には910mの所に破線道が書かれています。
高昌鉱山から御池鉱山までトロッコで鉱石を運んだ時の道・小学校に通った道を探したいですね。

高昌鉱山のトロッコ車輪のある所から道っぽいのが続いていました。
碍子も見たことあるなあ。
探索楽しみにしています。
お疲れさまでした。
飯高JAZZCAFEにもまた寄ってあげてください。

                      わりばし


                     

【鈴鹿】御池鉱山跡他(イブネ)

by むらまさ » 2024年6月05日(水) 00:22

【 日 付 】 2024年6月2日(月)
【 山 域 】 鈴鹿
【メーバー】むらまさ・O氏
【 天 候 】 晴れ
【 ルート 】 6:30 武平峠茨谷上駐車場ー7:20 コクイ谷ー8:46 小峠 ー9:40 高昌山ー
      10:00 イブネ北端 ー10:10 クラシー10:25 銚子ー 10:50 イブネー杉峠 11:50
      12:10 御池鉱山跡ー13:00 コクイ谷出会いー14:30 駐車場
 

イブネ・クラシに会社の山の先輩と計画するが、土曜は晴れるが仕事が有り日曜連続天候不良。
そこで月曜は晴れると信じ有給申請を事前にして行って来ました。
前回通った高昌鉱山横の小峠からが一番の近道と。
アプローチはコクイ谷往復で、前回通ったので渡渉場所も完璧。
イブネ・クラシは余り興味がなく、小峠から高昌山のルートは少し興味有りました。
高昌山の頂上直下に坑道の口が沢山有るとの情報有りましたが今回はパス。
帰り道に通る御池鉱山が楽しみでした。


2022年5月に近江鈴鹿の鉱山の歴史の著者の中島伸男さんと
岸原正恭さんの鈴鹿10座登山道コースの旧鉱山のお話を八日市図書館へ視聴しに行き、資料を頂きました。


それによると御池鉱山は慶長から大正~昭和。戦後に再開、昭和30年代に閉山。
石の階段・石垣・広い平地・大きなズリ・鉱滓・坑口が残る。脈石は、方解石とわずかの石英。
産出鉱物は黄銅鉱・磁硫鉄鉱・黄鉄鉱・硫砒鉄鉱・閃亜鉛鉱方鉛鉱・銅の二次鉱物。となっています。

ズリ
ズリ

石の階段が所処に有り、2年前にに永源寺地区まちづくり協議会の主催で千種街道を甲津畑から
歩いた時に教えてもらい細くて長い階段を登ると、そこには金山神社がかって有ったであろうという
丁寧に作られた石積が残っていました。
近江鈴鹿の鉱山の歴史には、御池鉱山にあった、「大正七年九月吉日」「御池鉱業株式会社」の文字が墨書された金山神社の太鼓が、永源寺甲津畑の麻太商店に保管されていると書かれています。

金山神社の石積では?
金山神社の石積では?
千種街道の雨乞側の階段
千種街道の雨乞側の階段

御池鉱山の小学校跡の階段の前に永源寺地区まちづくり協議会の案内板が有り、ここは御池鉱山旧跡。
この地域には向山・御池・国位・高昌・大蔵の鉱山があり、主に銀・銅を採取していた。
明治末期の全盛期には300人余りが働いていたという。
この辺りに金山神社や高昌尋常小学校の跡も残る。と記されています。

小学校跡階段前にある案内看板
小学校跡階段前にある案内看板

近江鈴鹿の鉱山の歴史によると私立鉱山小学校は、明治時代は高昌鉱山に設置されていて、大正期に入り御池鉱山に設置されていたらしい。
先生の赴任先の記録も明治は高昌尋常小学校で大正は御池小学校となっている。
運動会は千草村の小学校に出てきて行ったと、明治43年6月25日と大正6・7年10月の千草村の中屋旅館の宿泊者名簿に残っていると書かれています。


千種街道沿いに石積の下に穴が!上から確認すると精錬窯が有りました。
奥に向かって狭くなっている斜面に手前から3連・2連・1個の精錬窯が有りました。
街道沿いに6個も精錬窯が残っていたので、すごくびっくりしました。

一番手前の3連窯
一番手前の3連窯
3連窯上から
3連窯上から
その奥に2連と1個
その奥に2連と1個

今度はテン泊で御池鉱山跡と高昌鉱山跡探索したいです。
奥村さんの絵地図には910mの所に破線道が書かれています。
高昌鉱山から御池鉱山までトロッコで鉱石を運んだ時の道・小学校に通った道を探したいですね。

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