【日 付】 2024年4月28日
【山 域】 加賀大日山、越前甲周辺
【天 候】 晴れ
【メンバー】 山日和さん、sato
【コース】 新保出~カタクリ小屋~加賀大日山~越前甲~大日峠~標高1000m分岐
~・791~国道416号~P
今年も会えるかな。
鮮やかな緑の中を小松の町へと流れゆく大杉谷川を車窓から眺めながら、昨春の山旅を振り返っていた。
一年前、この川の上流から鈴ケ岳と加賀大日山を訪れた。
可憐で凛々しい花ばな、新緑の透明なブナの森、山に生きた人々の歴史、素晴らしい眺望・・・。
両手に抱えきれないほどの輝きを掬い上げた山旅だった。
今日は、東の支流に沿った道を進み、牛ケ首峠を越え、手取川と合わさる大日川の上流の新保から想い出の加賀大日山に向かう。
新保は気になっていた地でもあった。昨春、鈴ケ岳への登りの途中でひと休みしたヌギ谷原周辺は、
大杉ではなく新保の人々の出作り地であったことを「出作り小屋」の由来が書かれた案内板を読んで知った。
ひと月少し前、越前勝山と加賀白峰を結ぶ谷峠から白木山に向かった時には、
新保の出作り集落新保出と白峰の下田原谷赤谷に点在する出作り集落とを結んだ白木越と呼ばれる峠に立った。
山頂南の1270m鞍部。こんなところに道が通っていたのだと驚いた。
白木越は、新保の下流花立から花立峠を越え、鼓弓谷に沿った道もあり、交易の道としても利用されてきたという。
加越国境周辺では、昭和の時代まで出作りが盛んに行われ、村人は山また山の奥にまで分け入り焼き畑や炭焼きをしながら生活していた。
白山麓十八村のひとつである大日川沿いの新保の人たちは、どこから来て、どこに分け入り出作りを営んでいたのだろう。
興味を惹かれていた。
神社マークがある新保村は、昭和50年頃には冬季無人化となったそうで、登山口の新保出はすっかり杉林となっていた。
でも地面を見ると整地された跡があり、山の案内板には木地小屋という地名も記されていて、人びとの営みがあったことが静かに伝わってくる。
ここから延びるふたつの大日山登山道は、どちらも出作り炭焼きの道だったのだろう。
カタクリ小屋へと向かう谷沿いの道を進んでいくと、わぁっと春の息吹に包まれた。至る所に大振りのスミレが咲いている。
日本海側の多雪地帯で多く見られるスミレサイシンだ。落ち葉の隙間からまっ直ぐに伸びた細い茎の先につけた尖ったハート形の真緑色の葉と
ふわりとした淡紫色の花が、厳しい冬を乗り越えた力強い光を放っている。
広くなった岸辺には、フキノトウとコゴミが、食べごろは今日まで、と言わんばかりに煌めきながら並んでいた。
流れの横には、ちいさなまっ白な花を咲かせたワサビも繁っている。美味しい春の恵みを前に素通りすることは不可能だ。
歩き始めてからいくらも経っていないのに、リュックからビニール袋を取り出し山菜摘みに興じてしまう。
さぁ、進まなければ、と山日和さんを追いかけていくと、今度は、純白の宝石のようなお花が目に飛び込んだ。
「サンカヨウ!」山日和さんの目が輝く。ほのかに期待していた、雨の日には儚い氷細工のようになる初夏を告げる楚々としたお花。
楽しみはまだまだあるのに、すっかりと満たされた気持ちに。
標高740mの二俣で、道は谷から離れ尾根に入った。この辺りは「熊の平」と呼ばれている。
ここでも焼き畑や炭焼きが行われていたのだなぁ、と杉林を見ながら思う。
尾根は、右側は植林が多いが左側は清々しい青葉のブナ林。林床はイワウチワのお花畑が続いていく。
満たされたと思っても、こころのときめきは無限大。濃かったり淡かったりいろいろなピンク色に染まった可憐なお花に
「わぁ。わぁ」と見入ってしまう。白花にも出会えてにっこり。
ブナやイワウチワとお話しているうちに、昨春歩いた鈴ケ岳からの道に合流し、カタクリ小屋に着いていた。
今年もやって参りました。
小屋の入り口に吊るされた鐘をゴーンと突き、青空の下、萌黄色の葉のブナの木立の向こうにやわらかに佇む大日山にあらためてご挨拶をする。
初めての道はワクワクドキドキするが、歩いたことのある道も初めての道以上にドキドキしたりする。
今年も会えるかな。トクンと胸が高鳴り、昨春出会った輝きがわたしの中から飛び出して青い空に浮かんでいく。
真っ白なタムシバの花に導かれて踏み込んだ想い出の道は、まさに想い出を辿る道のようであった。
昨春と同じようにどこまでも続くイワウチワのお花畑。ミツバノバイカオウレン(日本海側に分布する種と知った)、
カタクリ、ショウジョウバカマも同じように次々と現れ、同じようにこころを躍らせてくれる。
そして「みんなで並んでいるところはないかなぁ」と、揃った姿を写真に収めたくて、またまた同じことを言っているわたしたち。
標高1200mを越えると、ブナ林から灌木帯へと植生が変わり、足元に向かってちょろちょろと水が流れてきた。
「あぁ、今年も雪が残っている」とうれしくなる。
雪の斜面で、山日和さんのすぐ後ろを歩いていたら、寝ていた木がぴょんと立ち上がり、あわてて退いた。
そうそう、前回も同じことをしていた。ひょっとしたら同じ木を山日和さんが起こしたのではないかと思ってしまう。
雪が切れるとジグザグの道。あのお花には会えるかな。胸の高鳴りが速まる。山日和さんの足が止まった。
「あった・・・」枯草の中に咲く、青い空の奥を映す澄んだ瞳のようなキクザキイチゲをわたしの目も捉えた。
こころ奪われた青き妖精。キクザキイチゲは白色から薄紫色、淡い桃色と変化に富みそれぞれうつくしいけれど、
ここのお花は、何て深い青色で、何て気高く清らかなのだろう、と今日も思う。
眩い黄色のオオバキスミレも姿を現した。
みんな健気に今年も咲いている・・・、と感動に包まれていると、あずき色の塊が目に飛び込んで来た。
なんとザゼンソウだった。昨春、山頂のヤブの中で一株見つけてびっくりしたが、こんな斜面にも生息していたとは。
空が近づき、最後は一面のカタクリに出迎えられ、初夏を通り越して真夏のような陽光が降り注ぐ山頂にポンと出た。
11時。少し早いけれど、今日も東側の白山展望地でお昼の休憩にする。
「少し前、真っ白だった白山はまだら模様。北方稜線、石徹白の山々の雪は見事に融けてしまっているなぁ」
「あれが横平山、あっちが白木山。あの、のぺっとした稜線、素晴らしかったなぁ」
「ひと月前は、あの稜線からこの山を眺めていたのだなぁ」
絶景を楽しみながら、昨春と同じようなことを話し、さらにこの冬から春にかけて白山を望みながら歩いた山の想い出話が加わっていく。
お話ししている内に、ありがたい気持ちでいっぱいになる。
昨日の淵は今日の瀬。世の中もわたしも明日のことは分らない。その理の中、時は移ろい、季節は巡っている。
この春も、こうして昨春出会ったうつくしいお花や新緑の木々にふたたび出会いながら歩き、
少し暑いけれど平和な空気に満たされた山頂で、同じような穏やかなこころ持ちで、
白山、愛する山やまを拝むことが出来てしあわせだなぁ、と思う。
ゆたかな山の想い出を重ねてきて、今日もまた重ねることが出来てしあわせだなぁ、と思う。
しみじみとした感慨に浸っていたが、強い日差しで背中が熱くなってきた。去り難いけれど立ち上がる。
越前甲への道の入り口で会いたかったザゼンソウを探すが見当たらない。
しょぼんとしたその時、山日和さんがくるりと巻かれた艶のある葉を指差した。
そうか、お花はもう終わってしまったのだ。今年もここで咲いていたのね、と笑みがこぼれる。
想い出は、時に現実の邪魔をする。6年前の5月に往復した越前甲から加賀大日山の稜線は快適な登山道だった。
1時間もあれば越前甲に着くだろうと思っていた。最初は記憶に残るカタクリ咲くササの中のしっかりとした道、
でも進むにつれササが覆いかぶさるようになり、暑さも重なりすんなりと歩けなくなった。
ヤブが濃くなったせいか、多かったはずのカタクリも少ない。
「こんな道だったっけ?こんな道ではなかったはずなのだけど」という思いがこみ上がる。
ところどころで現れる残雪に慰められて越前甲に着いた時には、2時間が経っていた。
大日峠への下り道は、記憶通りにしっかりとしていてホッとした。
峠から新保出への古道は谷に向かっているが、今日は新又越の手前から送電線の巡視路を下る。
巡視路は歩きやすく眺めもよく、タムシバ、ミネザクラ、ユキグニミツバツツジなど木に咲く花も多くて、
少し前の足取りがうそのように軽やかになった。
でも暑い。リュックから水を取り出そうとして、春の恵みの入ったビニール袋を触ると熱を持っていた。
開くと茶色く変色している。あぁ、かわいそうなことをしてしまった。あんなに煌めきながら生を謳歌していたのに。
きりりと胸が痛む。摘まなければよかったと反省する。
16時半、国道に出た。今日は15時半には駐車地に戻れるかなと思っていたが、結局いつもの時間になりそうだ。
車道歩きも楽しもう。キョロキョロ辺りを見渡しながら歩いていると、リュウキンカの群生地を見つけた。ザゼンソウにもまた出会う。
そして、最後はコゴミの群生地。ぼわっと頬が熱くなる。
「朝はごめんなさい。今度は、ありがたくいただきます」と言いながら両手に納まるだけ摘ませていただいた。
17時、駐車地に到着した。やっぱりいつもと同じような時間、と可笑しくなる。
ふたたび巡って来た春の歓びの歌声を聴くことが出来たしあわせ、今日もこうしてゆたかなお山の時間を過ごすことが出来たしあわせを、
ぎゅっとかみしめながら、泥のついた登山靴をゆっくりと脱いだ。
sato