【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

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Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by わりばし » 2025年10月24日(金) 05:16

おはようございます、skywalkeさん。

矢頭トンネル横の駐車場より旧道を進むとすぐに波氐神社の中宮がある。役の小角が二本の白羽の矢が山の峰をかすめ麓に降下したことから矢頭山と名付け蔵王権現を祀ったそうだ。

こういうのは、ちょっと物知り顔できて役に立つこともあるかもしれません。

つけ加えるなら、白羽の矢が落ちた場所が矢下(やおろし)です。

矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味深く刻み込んでいると思うのだが。

そういうことを念頭に山に登る人は天然記念物並みに珍しいでしょう。最近はむらさんだけじゃなく山日和さんまで山寺巡りを始めたからしつこく峠シリーズを続ければ興味を持つ人も出てくるかもしれません。継続は力なりです。

良いことです。
シュークリさんにも同じ匂いを感じます・・ :mrgreen:

 ここから登山道に入ると御峯道と刻まれた石柱があり、整備された道を進むと最初の頂上に到着。大日拝展望台(牛ヶ嶽)には秋葉大権現の石碑があるが、この峰の本尊は大日如来だ。大日如来は太陽の化身なのでここから日の出・日の入の姿を眺めたのだろう。現在は植林の合間から見る事しかできない。不動滝の源頭にあたる不動ヶ嶽は不動明王が本尊になる。大岩の行場のような場所や痩せ尾根もあるがロープで整備されており問題ない。山頂には矢頭蔵王権現の石祠があり奥社になる。蔵王権現は修験道の本尊で、明治維新までは全山に数千本の老杉が茂る修行の場であった。仁王峠まで下ると柔和な笑顔の地蔵が出迎えてくれた。切通しに関所があったのだろうか。

スーパースターが色々出てくるのですね。

権現というのは、仏の化身としての神が「権(かり)に現れたもの」という意味です。
森本にある神宮寺の薬師如来(奈良時代)が矢頭蔵王権現に姿を変えて現れ
神宮寺の僧が神社を取り仕切る別当をしていました。
神仏習合の色が濃いだけに、明治の神仏分離・廃仏毀釈のターゲットになりました。
堀坂権現も同じ理屈でやられました。


矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。
福井のお寺みたいに石仏の頭や顔を削られることなく残って良かったですね。

今回も現地調査を含めた研究お疲れさまでした。

神宮寺の奥の院や関連施設は廃寺になりましたが・・
現在でも拝めるのがありがたいです。

Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by skywalk » 2025年10月22日(水) 23:13

わりばしさん、こんばんは。
伊勢国司として250年間南伊勢を治めた北畠氏は多気御所(美杉)に拠点を置き、関所などの重要な所には修験寺院や御所や道場という山伏達の集まる場を設けていた
峠を巡る故事来歴の調査研究ご苦労様です。残念ながら門外漢の私にはチンプンカンプンです。

矢頭トンネル横の駐車場より旧道を進むとすぐに波氐神社の中宮がある。役の小角が二本の白羽の矢が山の峰をかすめ麓に降下したことから矢頭山と名付け蔵王権現を祀ったそうだ。
こういうのは、ちょっと物知り顔できて役に立つこともあるかもしれません。

途中の山道につながる場所に二本の石柱が門のように並んでおり結界なのだろう。江戸時代まではここから山頂の奥宮までは女人禁制だった。
修験道の行場になるような所は女人禁制が標準みたいなものですね。特に峠の関所では女人の出国を取り締まるのが重要任務だから女人禁制にしておけば都合がいい面があったのでしょうね。

矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味深く刻み込んでいると思うのだが。
そういうことを念頭に山に登る人は天然記念物並みに珍しいでしょう。最近はむらさんだけじゃなく山日和さんまで山寺巡りを始めたからしつこく峠シリーズを続ければ興味を持つ人も出てくるかもしれません。継続は力なりです。

 ここから登山道に入ると御峯道と刻まれた石柱があり、整備された道を進むと最初の頂上に到着。大日拝展望台(牛ヶ嶽)には秋葉大権現の石碑があるが、この峰の本尊は大日如来だ。大日如来は太陽の化身なのでここから日の出・日の入の姿を眺めたのだろう。現在は植林の合間から見る事しかできない。不動滝の源頭にあたる不動ヶ嶽は不動明王が本尊になる。大岩の行場のような場所や痩せ尾根もあるがロープで整備されており問題ない。山頂には矢頭蔵王権現の石祠があり奥社になる。蔵王権現は修験道の本尊で、明治維新までは全山に数千本の老杉が茂る修行の場であった。仁王峠まで下ると柔和な笑顔の地蔵が出迎えてくれた。切通しに関所があったのだろうか。
スーパースターが色々出てくるのですね。

矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。
福井のお寺みたいに石仏の頭や顔を削られることなく残って良かったですね。

今回も現地調査を含めた研究お疲れさまでした。

Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by わりばし » 2025年10月11日(土) 15:09

こんにちは、むらまささん。
 登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。
先日登山道判らず、今日改めて行ったら対岸に真新しいピンクテープが巻きつけてありました。
私のヤマップの道が判らなかったの日記みた関係者が付けてくれたのかなと?

わかりにくい感じですが、道はしっかりとつながっていますね。
旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。
寺ヶ谷と言うんですね。いかにもと言う谷名ですね。
ピンクテープに頼りながら右に行ったり、左に行ったりして最後の登り箇所はピンクテープ沢山ついていました。

私が行った時にはピンクテープが沢山というのは無かったなあ。
最初、探すのに苦労しました。

矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。
実際にこの目で見て、あらためて矢頭山の山名は役の小角が付けて、蔵王権現が祀られたと云うことが繋がりました。
道を整備してもっと沢山の人に見てもらいたいですが、無理ですね。

神仏分離で原始の神宮林は植林になり、規模が小さくなりました。
昔は、南朝の吉野に一志米を運んだ道のひとつで、交通の要衝でした。

奥ノ院から矢頭山に登るルートが在ったように思うのですが!
ヤマップでこの付近登られている方が奥の院から南西方向になりますが、篠ヶ広山P554.7から東に行った尾根Pで
祠が在ったと写真と場所提供して頂きました。何か関係あるのか?ですが!

矢頭山につなげるなら矢頭峠を通ったんでしょうね。

矢頭山や伊勢山上周辺には、この祠いくつかあります。
修験信仰とのつながりがあると思います。
今は放置されているようですが、篠ヶ広か寺広の里で管理していたのでしょう。


また旧波瀬の郵便局のカフェ古POSでお母さんに昔の話伺いました。
天徳院神宮寺奥ノ院跡の蔵王権現と役行者の事ご存じでした。

そうでしょうね。地元のルーツの話ですから。
波瀬小学校の登頂記念のプレートが矢頭山頂にありますね。

Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by むらまさ » 2025年10月08日(水) 21:44

わりばしさん こんばんは。

矢頭山キャンプ場は老朽化で今解体工事しています。
大きな杉が倒れて東屋をつぶしたそうですね。
危険だからと言う事みたいです。
森のしずく⑤読んでませんでした。全部書かれてますね!さすがです!
 登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。
先日登山道判らず、今日改めて行ったら対岸に真新しいピンクテープが巻きつけてありました。
私のヤマップの道が判らなかったの日記みた関係者が付けてくれたのかなと?
不動滝の摩崖仏
不動滝の摩崖仏
旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。
寺ヶ谷と言うんですね。いかにもと言う谷名ですね。
ピンクテープに頼りながら右に行ったり、左に行ったりして最後の登り箇所はピンクテープ沢山ついていました。
矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。
実際にこの目で見て、あらためて矢頭山の山名は役の小角が付けて、蔵王権現が祀られたと云うことが繋がりました。
道を整備してもっと沢山の人に見てもらいたいですが、無理ですね。

奥ノ院から矢頭山に登るルートが在ったように思うのですが!
ヤマップでこの付近登られている方が奥の院から南西方向になりますが、篠ヶ広山P554.7から東に行った尾根Pで
祠が在ったと写真と場所提供して頂きました。何か関係あるのか?ですが!
篠ヶ広山の東側の尾根に在る祠
篠ヶ広山の東側の尾根に在る祠
帰り道に波氐神社にも寄り、鳥居横の石板と社務所の瓦の紋丸に並び矢も確認して来ました。
一志総合支所の外壁にも丸に並び矢が描かれていました。
波氐神社の云われ
波氐神社の云われ
丸に並び矢(社務所の所に置いてあった瓦)
丸に並び矢(社務所の所に置いてあった瓦)
また旧波瀬の郵便局のカフェ古POSでお母さんに昔の話伺いました。
天徳院神宮寺奥ノ院跡の蔵王権現と役行者の事ご存じでした。

Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by わりばし » 2023年10月24日(火) 05:50

おはようございます、グーさん。

波瀬御所  仁王峠

知りません。

波瀬御所は波瀬城のことです。
北畠氏は公家なので、重要な大きな城は御所と呼んでいます。
仁王峠は矢頭峠のことで昔はこう呼ばれていました。


矢頭トンネル横の駐車場

トンネル? 地形図を開いてみると「矢頭トンネル」が表記されている。
いつのまに出来たの? 私が矢頭山に登った時にはうわさも聞かなかったけど。

美杉側から大きなトンネルが出来ていてこちらからだと快適な道が続きます。
波瀬側はそのままですが・・
ナビで検索すると遠回りな美杉経由ばかり出てきます。


矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。

私も見ていません。

また見てください。
滝横の涼しげな所です。


PA210030.JPG

寺ヶ谷

? ドコ?

矢頭トンネルから波瀬川を下り左岸に水線のある最初の谷です。
この看板があるのでわかりますよ。

PA210061.JPG

磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。

配置を少々は考えて置いてくれても良さそうに思うけど。
まあ、寝かせて放置でないだけましだけど。


何も考えずに置いたという感じです。
古い石像群ですがきれいに残っています。
見る価値はありますよ。


佐田峠を越えれば飯福田寺

飯福田寺は分かるけど佐田峠はドコだろう?

下出から飯福田町に抜ける峠です。

今日は伊勢山上の戸閉会式でした。昨日とは打って変わって秋日和。
今日桧塚奥峰に登った人は鮮やかなわりばしさんカエデを鑑賞できただろうな。
ヒキウス平第2劇場でカゴメのり佃煮のビンを拾いました。


閉山式お疲れさまでした。
わりばしカエデも見に行ってないなあ。
第2劇場でカゴメの佃煮瓶ですか、ここでは見たことないなあ。
乾留工場の人が食べてたのかも。

Re: 【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by グー(伊勢山上住人) » 2023年10月22日(日) 22:57

20231021-15.jpg



わりばしさん、こんばんは。昨日は季節風の厳しい日でした。

精力的に郷土史掘り起こしをしていますね。
今回は伊勢山上にも縁のある地域だから少々は・・・・
さっぱり分かりません。どうレスしましょうか・・・・

波瀬御所  仁王峠

知りません。

矢頭トンネル横の駐車場

トンネル? 地形図を開いてみると「矢頭トンネル」が表記されている。
いつのまに出来たの? 私が矢頭山に登った時にはうわさも聞かなかったけど。

矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。

私も見ていません。

寺ヶ谷

? ドコ?

磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。

配置を少々は考えて置いてくれても良さそうに思うけど。
まあ、寝かせて放置でないだけましだけど。

佐田峠を越えれば飯福田寺

飯福田寺は分かるけど佐田峠はドコだろう?

わりばしさん、私に詳細なレス返は要りません。
教えてもらってもたぶん歩かないと思うから無駄になります。

今日は伊勢山上の戸閉会式でした。昨日とは打って変わって秋日和。
今日桧塚奥峰に登った人は鮮やかなわりばしさんカエデを鑑賞できただろうな。

ヒキウス平第2劇場でカゴメのり佃煮のビンを拾いました。


           グー(伊勢山上住人)

【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡  北畠氏につながる峠路

by わりばし » 2023年10月22日(日) 17:04

【日 付】2023年10月21日(土)
【山 域】高見山地
【コース】矢頭中宮駐車場7:15---9:00矢頭山---10:15寺ヶ谷出合---11:15奥の院跡---12:45矢頭中宮駐車場
【メンバー】単独

 伊勢国司として250年間南伊勢を治めた北畠氏は多気御所(美杉)に拠点を置き、関所などの重要な所には修験寺院や御所や道場という山伏達の集まる場を設けていた。矢頭山の峠路には波瀬御所があり仁王峠には関所が設けられ仁王門があったのだろう。

 矢頭トンネル横の駐車場より旧道を進むとすぐに波氐神社の中宮がある。役の小角が二本の白羽の矢が山の峰をかすめ麓に降下したことから矢頭山と名付け蔵王権現を祀ったそうだ。大杉の立ち並ぶ石段を登ると石の祠があった。途中の山道につながる場所に二本の石柱が門のように並んでおり結界なのだろう。江戸時代まではここから山頂の奥宮までは女人禁制だった。


矢頭山
矢頭山

 登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。

不動滝と磨崖仏
不動滝と磨崖仏

 ここから登山道に入ると御峯道と刻まれた石柱があり、整備された道を進むと最初の頂上に到着。大日拝展望台(牛ヶ嶽)には秋葉大権現の石碑があるが、この峰の本尊は大日如来だ。大日如来は太陽の化身なのでここから日の出・日の入の姿を眺めたのだろう。現在は植林の合間から見る事しかできない。不動滝の源頭にあたる不動ヶ嶽は不動明王が本尊になる。大岩の行場のような場所や痩せ尾根もあるがロープで整備されており問題ない。山頂には矢頭蔵王権現の石祠があり奥社になる。蔵王権現は修験道の本尊で、明治維新までは全山に数千本の老杉が茂る修行の場であった。仁王峠まで下ると柔和な笑顔の地蔵が出迎えてくれた。切通しに関所があったのだろうか。

神宮寺奥の院跡
神宮寺奥の院跡

 旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。

大日如来と蔵王権現
大日如来と蔵王権現

 矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。

役の小角
役の小角

 帰りに寄った波瀬御所(城)からは矢頭山が正面に見えた。


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