おはようございます、satoさん。
晴れの日は、うみの向こうに輝く真っ白な伊吹山、鈴鹿の山並みに、
こころを奪われそうになりながら運転しています。
午後の光を浴びた御池岳、霊仙山、伊吹山は、胸を締め付けられる神々しさです。
雪が豊富な今年はなおの事ですね。
津からだと雨乞岳がこんな感じです。
雨乞岳は滋賀県側からだと綿向山に、鈴鹿の麓だと御在所・鎌にさえぎられて見えません。
遠く離れた津からきれいに猫耳が見えるのが不思議な気がします。

- 雨乞岳
初めての雪の御池岳は、何年前だったかは忘れてしまいましたが、丸尾を登り木和田尾を下りました。
ワカンで歩いていた頃でした。降雪直後で膝ラッセルが続き、真ノ谷からの登りがしんどくて、
やっと辿り着いた山頂が、お天気が今一つで、どんな景色かよく分からなかったという、
雪山らしい思い出になっています。
このあたりは雪質次第です。
新雪に阻まれて敗退した事も何度かあります。
夏はすっと登れる鈴鹿のお山も、雪の季節は、そう簡単には登らせてくれませんよね。
私は、思うようにいかなくても、本や地図を読んでイメージを膨らまして遊ぶのが好きなので、
SNSは、ほとんど見ないのですが、貴重な休日、失敗したと思わず、効率よく山登りを楽しみたい、
うつくしい山頂に立ちたい、という気持ちも想像できます。
経験豊富な女性の年輩の方も「このトレースが無いと今は無理」と言ってみえたのが印象的でした。
今回は雪質も良く問題なかったのですが・・
いつもこうとは限りません。
馴染み深いお山の、思いもよらない風景と出会った時のよろこびはひとしおですね。
歩き始めた時には、頭の中になかった頭陀ノ窟を訪れ、
中には何もないと知っていて、蹴散らした雪の下から現れた阿弥陀三尊さま。
そのお姿をご覧になった時のわりばしさんの胸の鼓動、伝わってきます。
ほんとうに奇跡のような出会いですね。
エッという感じでした。
三体とも私の好きな平安時代の仏像のような柔らかさを保ちつつ
凛と立っている姿がまぶしかったです。
頭陀ノ窟の存在は初めて知ったのですが、お写真を眺めながら、
むかし、この窟には、ほとけさまが祀られていたのでは、と思いました。
そして、いつの間にか、そのほとけさまは無くなってしまいましたが、
ここで手を合わせた人々、麓から山を見上げ手を合わせた人々の祈りが、
しんとした雪の季節に、氷のほとけさまの形となって現れるようになりました、
と物語を作っていました。
そうかもしれませんよ。
木地師の里の小椋谷から木地師狩りに多くの人たちが行き交った場所で
御池岳の東のボタンブチから見えるこの窟を昔人が知らないはずはないと思います。
頭陀の頭という名前も意味ありげです。

- 湖北の山々
「鉄の平」面白いネーミングですね。
私もこの辺りから天狗岩周辺にかけての、のびやかな地形が好きです。
お日さまの下、雪原に映る木の影を見ながらのラッセル、素敵ですねぇ。
私はしあわせを感じます。
緑水さんらしいストレートなネーミングです。
晴天の雪原は、やはり気持ちいい。
最後に書かれた、祈りというお言葉。
20代から30代の頃、祈りとは何なのだろう、と考えていました。
暮らしの中に祈りがある人たち、祈りの中に暮らしがある人たちに出会いたくなって、
インドやネパール、チベットをふらふらしたりも。
今は、無意識に祈りを感じたものに手を合わせています。
自らの空白を埋めるための行為なのでしょうが・・
祈りに向き合える山登りでありたいと常々思っています。
昨日からの雪で、鈴鹿のお山もまた積雪量が増えたのでしょうね。
今シーズン、私はまっ白なお姿に会いに行けるかな。
この雪で、楽しみが続きそうです。