おはようございます、zippさん。
古和谷道分岐の標識には、正月飾りが取り付けられている。また以前繁茂していたスズタケのヤブが見事に消えてしまっていて驚いた。
よく道型を見ると、この標識のあるところは、木津へ抜ける古道は通らずに北側を巻いているのがわかった。
又口辻で一本。リンゴを頂いて休憩。この辺りもスズタケのヤブは消えている。ただ又口道の入口は低木のヤブが被っている。
このあたりもスズタケのヤブが生え変わりで後退してるんですか。
08年又口辻_800.jpg
入口のヤブを潜り抜けること少しでしっかりした道が現れた。スズタケの枯れた棹が残るもいたって快適な道である。枝谷が横切るところは、石積みが積まれている。又口辻から稜線(「新規組峠」)へ至る道の続きであることがよくわかる平坦な道だ。
北山架線の駅の関係で長く使われていた道ですね。
道を辿ると、県境稜線に乗ってしまった。正確に云うと道型は県境稜線に近づいて、道型を無視してすぐソコにある県境稜線に乗ってしまったのだ。
以前この稜線を歩いた時、このトラバース道には気づかなかった。スズタケが繁茂していたのはもちろんだが、又口道は県境稜線まで達せずに源流部に下りる道型が続いているのだ。
又口辻から北へ県境稜線「新木組峠」まで標高差50m、同様にこの道も県境稜線まで標高差50mなのである。大台ケ原牛石ヶ原へと、北山索道古和谷駅から重い聖武銅像を運んだ木馬道でもあるのだ。
治田鉱山の古道も稜線に道をつけるのは稀です。
毎日使う道ですから、歩きやすく風雨に影響されにくい所がいいですよね。
そういや銅像運んだのもここでしたね。
左岸の飯場跡を探るも、戦後のものらしいものしか出てこない。大阪営林局のホーロー看板に伊勢乾物の「磯小町」及びカゴメのり佃煮ビンに食器類。
一通り見て回ったら、左岸の日当たりのよいところでシートを広げ、あわわを開けてランチだ。
ここのでしたか。
日々の過酷な労働には塩分が欠かせなかったのかな?
それを裏付けるように、いま「竜辻」の看板のある1260mピークから稜線を又口辻方面へ向かうと、途中から稜線に窪んだ道跡が出てくるのだ。
そうでしょうね。
この山行、又口道がそれほど大きな崩壊もなく簡単に辿れるとは思ってもいなかった。そうしてその地形図の破線道が間違ってることを知ったのは、大きな収穫だった。
又口道は、十分辿れる道だと確信を持つことができた。スズタケのヤブが無くなったことが大きいのだが、それは古和谷道とて同じだ。
ヤブとの関連でしたか。
古和谷道を歩いていてなんでこれだけしっかりした道が廃道だったんだろうと思っていました。
わりばし