烏帽子岳細野ルートと東尾根
2013.2.17(SUN)曇り時々晴れ 単独
コース 添付図のとおり
一ヶ月ぶりに山へ行ける日が来たが、何処へ行こうか迷っていた。つらつら地図を眺むるに、烏帽子岳から久しく足が遠のいていることに気付く。ここにしよう。何処から登るか。鐘釣のような急登一本槍もつまらないし、熊坂、二の谷、タカンスは廃道状態。廃道でも構わないが、冬はあまり谷道を登りたくない。地図を見れば魅力的な尾根が東に伸びているではないか。これにしよう。そして最近の烏帽子事情をネットで見てみる。あらまあ、知らないうちに東の尾根に細野ルートというのができているではないか。2009年に大垣山協と地元の有志で開削されたとある。迂闊にも三年以上知らなかったことになる。でもよく見ると私が目を付けた尾根と違う。それでは細野ルートとやらを登り、当初の真東尾根は下りに使おう。
国道から時山方面へ入り、狭い道を通って細野の集落に入ると「←登山口」の標識があった。左折して奥へ行くと広場が見えてきた。真新しい木造の建物や説明看板が建っている。林間広場というらしい。リンカーンも驚く広さでクルマはなんぼでも置けるが、先客はポツンと一台だけ。クルマの中を覗いてみるが、山やさんのものとは断定できず。建物は東屋とトイレだった。トイレの中を見てみたら、十畳ほどの空間の端っこに和式便器がひとつ。こんな無駄と言うか贅沢なスペースの使い方は見たことない。こんな所でしゃがんでいても落ち着かないと察せられる。外に水道の蛇口があるが、ガチガチに凍って水は出なかった。
広場に雪は全くない。まあアイゼンもワカンも必要なかろうと思って置いていく。登山口から山道へ入ったかと思ったら、すぐに農道に出た。そこから池を廻り込んでいく。池は透明度が高く、表面には厚い氷が張っている。氷の下に長い倒木が横たわっているのが見える。巨大なガラスの飾り物のようで神秘的だ。今度こそ本当の山道になる。里山のような雰囲気の緩い傾斜を登っていく。それでも歩き出しはしんどく、体調が良い日ではなさそうだ。雪はないが今朝は強烈に冷えたので霜柱が凄く、ザクザクと踏む音が脳天まで伝わってくる。20分ほどで第一見晴らし台と書いたプレート。でも養老山脈が見えるだけだ。
やがて斑に雪が見られるようになった。足跡がある。土曜のものか今日のかは分からない。常緑樹が少なくなってくると右手に集落が見えてくる。この牧田川沿いの秘境集落は市町村合併で全部大垣市になってしまった。そう言われても何かピンと来ない。永源寺町の秘境が押し並べて東近江市になってしまったのと同じだ。8:55平坦地に出たので一休みする。地図を見ると偶然にもそこが478標高点だった。この先はやや傾斜がきつくなってくる。第二見晴らし台に着くが、そこも見えるのは養老山脈だけ。
ちょっと雪山らしくなってくると第三見晴らし台(590mくらい)に着く。ここも養老山脈やゴルフ場が見えるだけ。肝心の北側の山々は樹間からチラチラ見えるだけで欲求不満だ。しかし霊仙山や伊吹の白さは際立っている。その内また急登になってきた。気温は低いが風がないのであまり寒くはない。このルートには樹種の名を書いたプレートが見られて勉強になる。しかも留めてあるのは針金ではなく、成長の邪魔にならないスプリングなのは気が利いているではないか。シロモジの木に白文字で名前が書いてあるのは何となく笑えた。クロモジもやはり白文字で書くのだろうか。
高度が上がりラッセルになってくると、上部に初めて人を認める。赤いジャケットを着たおじさんだ。駐車場に一台だけあったクルマの主だろう。動く様子がないのでじきに追いついた。ちょうど展望岩コースと大岩コースの分岐点(700m強)だ。聞いてみると大岩コースへ廻ってみたが雪が深くて進めなくなり、今戻ってきて思案中ということだった。私は北側の展望が見たかったので、「それじゃ二人になったことだし、右の展望岩コースに行きましょう」と勧めた。右へトラバースしていくと、やはりこちらも雪が深い。夏道は全然分からないが、別に忠実に辿る必要はない。ラッセルも辛抱すれば距離はさほど長くない。やっと北尾根に出ると、吹きさらしのためか嘘のように雪が減った。

- 展望岩からの眺め
あとは尾根筋を南へ登るだけだ。ところが凍てた地面に薄く積もった雪はちょうど滑りごろで難儀する。右手に岩が見えてきた。回り込んで上に乗ると、本日初めての北側大展望に恵まれた。おじさんと山座同定談義。細かい山はご存じないようでソノド、谷山、猿登など説明する。充分撮影してから山頂へ向かう。直下の雪は深く、壇密を見たときのようにハァハァ動悸がした。久しぶりの三角点。殆ど記憶がない。こんなに展望あったっけ。東から南に開けている。曇っているわりに遠く恵那山や南アルプスも見えた。南には御池藤原の巨体。しかし北側の展望はなく、展望岩コースに寄っておいたのは正解だった。一応最高点も往復しておく。最高点は樹林に囲まれ、なお展望がない。

- 烏帽子岳三角点
細野ルート往復のおじさんと分かれて、三角点から東南東の斜面に飛びこむ。雪が深くヤブだらけである。ほんの少し下りた所に平坦地を見つけ、少々早いが昼食にする。せっかく担ぎ上げた食材は、なるべく標高の高い所で食べなければ損をしたような気がするのだ。雪を均してシートを敷き、くつろぐ。今日は風がないのでツェルトは不要。それでもじっとしているとさすがに寒い。氷点下3度くらいで、陽も射さない。今まで乏しい残りガスを使ってきたが、今日はアマゾンでまとめて買った新品。久しぶりに聞くゴーッという音が頼もしい。湯が湧くまでお握りをコッヘルのふたの上に置いておくと温まる。
最初はヤブっぽかった尾根も、やがて落ち着いてくる。ザックから先日買ったグーグルのタブレットNexus7を取り出して地図ロイドというアプリを立ち上げる。すぐ現在地が出た。見やすさはオレゴンの比ではない。いつぞやつうさんや忍者さんが書いていたスマホのGPS機能と同じことをやっているわけだ。全く周回遅れの話題だが、タブレットはスマホよりなお画面が広い。見やすさは抜群だが、さすがに登山では手に持ったままとか、ポケットに入れたりできないのでザックに入れることになる。だからしょっちゅう見ることはできなくて悩ましい。でもどうせ電源入れっぱなしでは電池が持たないので、迷った時の保険ぐらいに思えばいい。
痩せ尾根はいい雰囲気だ。ここでは間違いようがない。しかしこのあと左へ外しかけて修正したことが軌跡に出ている。これは全体ルートが左曲がりになっていることを記憶していて、早く曲がり過ぎた結果だ。その後尾根は徐々に広がり、尾根芯が分からない。植林とユズリハのヤブの境界を行く。ちょっとこの辺は良くない。やはり細野ルートの方が道としては優れている。雪が消える頃、お祭りのようなひらひらした目印が現れ、はっきりした道になった。植林道だろう。ひたすら植林の中を下りていくと前方が明るくなってきた。ほぼ予定ポイントに着地できた。
ところが田んぼの周囲に獣避けの電気柵が張り巡らされていて林道へ出られない。私はサルやないちゅうの。仕方ないので暫く水路沿いを左へ行くと、ようやく田んぼが切れて林道に出ることができた。林道をとぼとぼ歩いているとジムニーが数台停まっていた。銃を携えたハンターたちだ。狩猟小屋もあって20人ぐらい屯している。「どこから下りてきたの」とか、色々聞かれる。シシ狩りだそうで、今から山へ入るという。ヒエー、早く下りて良かった。
林間広場に戻ると朝のおじさんのクルマはなかった。時間が早いので案内看板を見て回る。そのひとつに「壬申の乱」の文字を見つける。ちょうど朝明久留倍官衙遺跡の本を読んでいるところで、壬申の乱も関係が深い。大海人皇子(のちの天武天皇)が東征のおり、朝明郡役所付近で伊勢神宮の方を向いて遥拝したという。この場合の朝明とは登山基地の朝明ではなく、朝明川のもっと下流の大矢知付近である。さて細野の看板には大海人皇子に同行した後の女帝、持統天皇が輿で峠を越え、それで輿越峠と言うと書いてある。歴史関係の図には朝明郡から桑名、そして今のR258付近を通って美濃に入ったことになっている。そして不破(関ヶ原)から近江に入るのであって、時山は通っていない。しかし看板には細野の寺で軍議を巡らしたと書いてある。不思議だ。よく見られる我田引水の怪しい話なのか。それに輿越峠とは何処なのか具体的記述はない。R365の岐阜三重県境だろうか。
烏帽子岳といえば熊坂長範伝説が有名だが、まさか壬申の乱が出てくるとは・・・。そう言えば鈴鹿南部の油日岳に登った時も壬申の乱ルートだったことが書かれていた。これは加太越えからして納得できる。鈴鹿の山の歴史は面白い。
ハリマオ
余談
ロシアの隕石落下事件の映像を見たとき、「ディープインパクトまんまやんけ」と思った。同じ名前の馬がいるらしいが、映画の話。
あの映画を見たとき隕石ってこんな煙吐いて落ちるのかなって疑問に思っていたけど、地上から見上げた映像は進入角度、煙の出方、飛び方など映画そのままで驚いた。ちゃんと考証されていたんだなと感心する。実際と違うのはマッハ50に達する超音速による衝撃波が描かれてなかったこと。空中で分裂して光を放つこと。しかし隕石が大きいと分裂しない可能性もあるので映画の不備とも言えない。