三重県側から桧塚(千秋峰)方面に登る際、コースによっては、炭焼き跡ではない、レンガを使ったナゾの遺構を通過することがあります。
これは大正時代にこの地で栄えた、通称『乾留』という会社の工場の跡です。
これが何なのか、誰が、ということは別の機会に紹介するとして、よく話題に出るのは場所です。
木屋谷水系では6工場までが知られており、万才橋から川沿いルートをとると、ワサビ谷手前で4工場(下から数えて4番目の工場)、奥山谷の出合いで5工場を通ります。この二つは目立つので、歩いた方はお分かりだと思います。
先日、ココで1~6工場までを紹介しましたが、zippさんから「1工場は取水堰堤の上流の滝の右岸では?」とご指摘があり、写真を頼りに早速行ってきました。
・・・答えは、ココがズバリ1工場跡でした!
川を渡渉し、そこで見たものは、4工場等と規模が違い、正に要塞でした。一人でコーフンしまくりでした。石垣がきちんと組まれており、広い平地が大きく2段あります。
下の広場には釜(窯?)跡が3箇所くらい、上の広場には1.5m×3m程度の池のような跡(石もコンクリで固めているように見える)、そして随所に例のビール瓶、三ツ矢サイダーのビン。そして、何の部品か皆目見当つかないブーメランのお化けのような鉄の部品(かなり重いです)。そしてなぜかガイシも。一人でそこにいると往時の人の姿が見えてきそうな感じでした。
別荘に帰ると、オジヤンが車で来た(けれど何でこの人はいつもこんなにタイミング良く現れるんだろう?)
『取水堰堤の上の跡に行ってきた。あれ1工場だよね』
『そうや、『窯跡』や』
『1工場跡とは言わんの?』
『まあ言う人もいるかもしれんが、ここら辺では『窯跡』と呼んでるな』
・・・確かに、いわゆる本社みたいなもんだろう。それをワザワザ1工場というのもヘンだわな・・・
『あれは乾留時代のものなの?千秋社が一時使ってたの?』
『いや乾留から後は使っていない。石垣も乾留が組んだものだろう』
『昔の記憶はあるの?』
『昔見たときは、大きな木の樽があって(今は蓋だけだけど有ったぞ!)、上に池があったな』
『そう、多分木の樽の蓋が残ってた。池もあった。あの池見たいなものは何をしてたの?』
『酢酸(木酢)に石灰(岩)を反応させて、固体にして出荷していた。そういう反応槽だろう。運搬に液体では具合悪いので、固体化させていたみたいだ』
・・・・なるほど、以前聞いた石灰山がココにつながるな。『酢酸カルシウム?』これは今度調べます・・・・
『ガイシが有ったけれど』
『千秋社がその高方に事務所を作った際、水力発電をしていた。ひょっとして発電場所がその辺で(滝が近いので)、その名残かも知れんな』
『前後の道(旧道)はたどれる?』
『下流はかなり崩れていて、たどれないだろう。上流はすぐに橋(つり橋)が架けてあって左岸に渡り上流に向かっていた。また、ココにはおそらく居住スペースも有ったのではないだろうか』
いやいやzippさん、ご助言ありがとうございました。自分にとって灯台下暗し、大発見でした。

- タルの蓋。厚みは5cm以上有りました

- 池の跡。上部の平地に有りました。石をコンクリで固めてあります。

- ガイシ。こちらはずいぶん小さな部品(親指くらい)でした